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2018.11.13 [イベントレポート]
「言語は一つの道具に過ぎない」11/1(木):Q&A『はじめての別れ』

はじめての別れ

©2018 TIFF
10/29(月)のQ&Aに登壇時のリナ・ワン監督と、チン・シャオユーさん(プロデューサー)

 
11/1(木)、アジアの未来『はじめての別れ』上映後、リナ・ワン監督、プロデューサーのチン・シャオユーさんをお迎えし、Q&A が行われました。
作品詳細
 
リナ・ワン監督:皆さん、こんにちは。こんな素晴らしい天気、この午後にこの映画を観に来てくださいまして本当にありがとうございます。
 
チン・シャオユーさん(プロデューサー):皆さん、映画を観に来てくださいまして、ありがとうございます。この映画は子供が主役でございますので、彼らの成長、彼らの輝かしい演技を楽しんでいただければと思っております。
 
石坂PD(司会):大変おめでたいんですけれども、監督は、なんと新婚2週間目でございまして、おめでとうございます。
 
リナ・ワン監督:ありがとうございます。
 
石坂PD:旦那さん、置いてきちゃったんですか?
 
リナ・ワン監督:旦那を置いてきたんですけれども、でも映画祭に参加して、もうとっても楽しい雰囲気の中でホントに幸せだと思っております。
 
チン・シャオユーさん:ある意味では、この話なんですけれども、リナ監督が新婚となって、「はじめての別れ」でございます。
 
石坂PD:監督に聞きたいです。この子供の演技というのか、パフォーマンスが、あんまり自然でビックリしました。プロの役者さんと素人さんと交ってるんですか?出ていらした方は、どういう方々でしょうか?
 
リナ・ワン監督:とてもいい質問だと思います。実は私にとっても、役者をどう起用するのかっていうのは一番難しかったところなんです。ご存知のように、これは私のデビュー作品でございますけれども、実は役者全員、素人なんですね。
特に、ここでこの三人の子役の子供たちも、ホントに自由で大自然の中で、もうまるで森の中の妖精のような存在で、ホントにとても自由自在な演技をしてくれました。
 
石坂PD:とはいえ、ドラマなわけで、どういうふうに演出を子供たちにされたのか、あるいは普段からのコミュニケーションはどういうふうに取っておられたのか。
 
リナ・ワン監督:そうですね。私にとって、こういった素人の役者は恐らく初めての演技ですので、結局、何に基づいて演じているかと言いますと、人それぞれの本能なんでしょうね。本能に基づいてやってもらうしかないと思いました。だから彼らに、あれこれ教えて、こうしろ、ああしろっていうことは基本的にはなかなか難しい、できないと思っております。そうすると、じゃあ私はどういうふうにしたらいいのか、私も現場では自分の考え方をいろいろ変えたり、とにかく何とか彼らには、私は監督、あなたは役者、そういった関係を忘れてほしいというふうに思いまして。
ですから現場では私は決して監督ではなくて、彼らの周りにいるような人間で。だから撮影もそうなんですけれども、通常は「アクション」「カット」というふうになりますけれども、現場では私はそういったことを一切やめました。言わなかったです。
それで私にできることは、とにかく彼らのために割とやりやすい環境をつくってやるということです。
例えば、ここの場面を撮りますよ、これはどういう場面ですか、ここは多分誰誰が入って来ますよ、それだけは分かっててね、じゃあとは、皆さんでやってっていう風にやらせちゃうんですね。ただ、このやり方はすごく時間がかかりますので、その過程においては、とにかくこういった環境がつくることができると、彼らは非常に自由に演技を披露してくれます。そういうやり方をしていました。
 
石坂PD:プロデューサーのチンさん、映像についてはカメラマンの方の功績も大きいと思います。今日はスタッフの皆さんは会場にいらっしゃいますか?
 
チン・シャオユーさん:カメラマンが実は会場に来ております。
 
石坂PD:もう素晴らしい画ですもんね。コメントしていただけますか?素晴らしい映像を撮ってくれたカメラマンにご登壇いただきましょう。
 
リー・ヨンさん(撮影監督):皆さん、この映画を観て気に入ってくれたことをとてもうれしいと思います。
そうですね。こういった素晴らしい映像を撮るということは、やはり時間がかかるんですね。実はこの映画は、私たちは二年間かけました。そういう意味では、たっぷり時間がありました。とにかく一番いいタイミング、一番いい光の、そういった時間を使って一生懸命撮りました。この映画のいわゆるコマーシャルの中でも出てきたんですけれども、いろんな映画撮影の設備とか、そういったものも一番いいものを使って撮影しました。
でも、いくら私が映像を美しく撮りたくても、やはり監督の映画ですので、監督の光に対する要求、求めてる品質、どういう映像、どういう画面というのは、やはりそれが大事だと思うんですね。
今回、監督はしっかりそういった要求を出して、われわれはそれに応えるような形で、一生懸命最も美しい風景を撮りました。
この映画はもう一つの特徴なんですけれども、非常にドキュメンタリー映画のスタイルを持っていて、映画撮影の過程においては、われわれ撮影側は、どちらかというと、この役者たちの自然な演技をどうキャッチするっていうことに一生懸命専念しました。
 
チン・シャオユーさん:ちょっと補足いたしますが、実はこのカメラマンのリー先生は実際に大学の先生でございます。実はワン監督の師匠でもあり、大学でワン監督が大学の研究生の時の先生なんですね。今も学生たちに撮影のことを教えています。リー先生が、とても謙虚に語ったんですけれども、実はお弟子さんのデビュー作を成就するために、先生は一生懸命、自分の時間、血と汗を費やして、このような美しい映像が撮れたわけなんですよね。
先ほどリー先生がとても謙虚に言ったんですけども、このような美しい映像は、結局時間の蓄積で出来たものなんですけれども、決してそうではありません。撮影はホントに大変だと思うんです。
またリー先生は、この美しい映像と、美しい映像だけだとダメだと思うと。それだと何か観光のプロモーションみたいな映像になってしまいます。美しい映像だけではなくて、この映像を通して、私的にこの監督の語りたい世界を表現すると、この両者を実に見事に、バランスよく、表現したと思いますので。だからホントにこのようなバランスよく映像を撮ったことが、もしできなかった場合、この映画は多分成り立たないと思いますので、撮影監督とこのワン監督の関係ですか、ちょっとしたエピソードを紹介いたしました。
 
石坂PD:ありがとうございます。今日はQ&Aの撮影しておられますので、すごくきれいな画が撮れるかもしれないですね。
 
リー・ヨンさん:これは歴史的なモーメントですので、記録として、映像として撮っておきたいと。
 
石坂PD:そうですね。ワールドプレミアで出していただきましたので、皆さん、この映画目にするのは世界で初めての観客ということになります。それでは、皆さまからのご質問行きましょう。
 
Q:美しい風景とは裏腹に、中国語を一生懸命学ばせるシーンが映画ではたくさん出てきました。それを見ていると私のなかではちょっと切なくて、子どもたちがすごく痛々しいというか、辛そうというか。最後には中国語がウィグルの綺麗な景色とか、本来持っているべき生活を奪っていくのではないかという感じを覚えたのですが、ワン監督はなぜ中国語を学ぶシーンをこんなに細かく描かれたのでしょうか?
 
リナ・ワン監督:私は自分の好きな映画を撮りたいといつも思っています。また、いい映画というのは、結論はないですし、決まったパターンや構造もないと思っています。余白があればこそ、観客のみなさんが、それぞれご自分の角度から映画を観ることができるのだと思います。したがってこの映画をご覧になって、みなさんそれぞれのお考えがあるはずだと思います。私としましては、映像や物語を通して私的な映画を撮りたかったんですね。いわゆる「私的」というなかには、必ず複雑な部分や余白が織りなす世界があるわけです。映画を撮り終えた今、あとはみなさんのそれぞれのご感想をお聞きしたいと思っています。ご質問の中に中国語とウィグル語のお話がありました。中国語、あるいは漢字は北京語、つまり標準語です。言語は一つの道具に過ぎないので、例えば英語を使えばいろいろな人とコミュニケーションがとれますよね。ですから一人ひとりがどう言語を話すのか、というのが重要なのだと思います。私自身もいま英語を一生懸命勉強していまして、英語を用いて世界の多くの人と交流できればと思っていますので、まあ、そのくらいの意味だと考えています。
 
石坂PD:中国語が元来のウィグルの美しい風景を奪っていくのではないかと、そして監督もそれをメッセージとして入れたのではないかと思ったのですが、どう思われますか?
 
チン・シャオユーさん:私はそうは思いません。といいますのは、一つの国の中では標準語が必要だと思うんですね。例えばアメリカは多民族の国家なので、英語を学ばなければならない。それと同じようなことだと思うんです。英語を用いて、いろいろな人とコミュニケーションをとることができるわけですね。ですから、決してウィグルの美しい風景を奪うということは、私は考えておりません。もちろん自分の民族の言語はとても大事なのですが、国全体で考えるときに、いろいろな地域や民族の人たちと交流するときには標準語が必要ではないかということです。全体として、観客のみなさまがどう感じるかにかなり委ねられているような気がしますね。黒澤 明監督の有名な言葉がございますよね。新聞記者に「監督、この作品のテーマは何ですか?」と聞かれたら、「それをひとことで言えたら、俺は映画を撮ってないよ」と。まあ、そういうことだと思いますね。
 
リナ・ワン監督:この映画は私の故郷に捧げる私的な長編映画です。じつは私も小さいときに北京語を学びました。私の両親は甘粛省出身で、二人は甘粛の言葉を使っていたんですね。そうすると周りの人と交流するためには私も標準語である北京語を学ばなければならなかったんです。先ほども申し上げましたように、標準語というのは交流の一つの手段に過ぎないわけです。
 
チン・シャオユーさん:ちょうど日本のみなさんも同じではないでしょうか。日本全国、いろいろな方言があると思いますが、日本人としては標準語をあるていど学ばなければならないというのと同じことだと思っています。
 
Q:私は中国から来た留学生です。私が大変興味を持っているのは、町から若者たちが都会へ行って、その後またふるさとへ戻ってくるのかどうか、ということです。といいますのは、日本で研究していて気がついたのは、いま日本も少子高齢化が進んでいて、例えば長野県では、若い人たちみな都会へ移住して、じっさい東京で暮らすというのはとても大変で、お金を稼がなければならないので、なかなかふるさとに戻ることはできないわけです。監督にお聞きしたいのは、あの町に住む人たちが都会へ行ってから、また再びふるさとに戻るのかということです。
 
リナ・ワン監督:質問を聞きまして、どう答えたらよいのか一生懸命考えておりました。ちょうどあなたの今の質問は、私が次に撮りたい映画のテーマそのものなんです。じつは私の周りにも、ここにとどまったほうがよいのか、都会に行って働いたほうがいいのか、非常に迷っている若い人たちが多いんです。そういった友人たちが周りにいますので、次の映画ではこの問題について探究しようと思っております。したがって、次作をもちまして、このご質問の答えにしたいと思っております。
 
石坂PD:ぜひ次回も新作を持っていらしていただきたいと思っています。お待ちしています。
 
リナ・ワン監督:今回機会を与えてくださって、嬉しく思っております。東京に来てもまだ新婚ほやほやの気分でおります。皆さん、どうもありがとうございました。

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