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2018.11.08 [イベントレポート]
「私自身が父親でなければこの作品を作れなかった」10/31(水):Q&A『氷の季節』

氷の季節

©2018 TIFF
記者会見に登壇された際のルネ・エズラさん(プロデューサー)、マイケル・ノアー監督、マティルダ・アッぺリンさん(プロデューサー)

 
10/31(水)、コンペティション『氷の季節』上映後、マイケル・ノアー監督、ルネ・エズラさん(プロデューサー)、マティルダ・アッぺリンさん(プロデューサー)をお迎えし、Q&A が行われました。
作品詳細
 
マイケル・ノアー監督:本当に誰かの夢を実現するというお言葉以上の歓迎の言葉はないと感じているので、本当に最大の歓迎をいただき嬉しく思っております。このように皆様の前で緊張しております。ありがとうございます。
 
ルネ・エズラさん:皆様おはようございます。少し私は時差ボケをしておりますが、このように皆様の前で上映することができたこと大変光栄に思っております。二度目のチャンスということになるかもしれないんですけど今回、私たちは地球の反対側に住んでいて誰かが私たちの作品というものを知っていて、私の願いですとか夢というものをわかってくれて、今回このようにご招待いただけたことは大変嬉しく、そして大変光栄に思っております。皆さんにご覧いただき大変嬉しく思っております。ありがとうございます。
 
マティルダ・アッペリンさん:すこし補足をさせていただきますけど、これだけたくさんの方々にお越しをいただいて大変嬉しく思っております。こんなにたくさん来てくれてちょっと驚いていますが、皆さん朝早くからこのデンマークの作品をご覧になるために足をお運びいただいて光栄です。ありがとうございます。
 
矢田部PD(司会):この作品を最初に観たときは現代の格差社会を19世紀の洋装で体験するものというと観ていたのですが、改めて観直すとやはりこれは親子の物語なんだなとも思いました。監督の意図といいますか、思いというものをお話しいただけますでしょうか。
 
マイケル・ノアー監督:私自身が父親でなければこの作品を作れなかったと思います。私自身二人子供がいて、男の子と女の子がいるんですけど、親としての巨大な責任がある中でこの作品にはすごく関連付けやすかったと思います。もちろん私は飢えているわけではないですし、子供たちも毎晩温かいベッドで寝ることはできるんですが、将来について時々心配になることはあります。ですので、当時ものすごくプレッシャーがある時代だったらどうなったのだろうかという思いがございます。そして逆側から見てみますと子供のためを思って私の希望とか欲望というものを子供に投影していくのか、あるいは子供が本当に願っていることを応援するのか、そして真のいい人生は何なのかというその三つの要素というものを考えて、それがこの作品の中で作られています。あとそれといろいろなリサーチの仕方とかもありましたので、それについては後程触れたいと思います。
 
Q:作品を拝見してデンマークの19世紀の小説のような要素が散りばめられているのかなという印象を受けました。そういったところは意図をされたのでしょうか。
 
マイケル・ノアー監督:私は歴史を描いた1パーセントの人ではなくて、歴史は実際に生きた99パーセントの人に焦点をあてるほうが重要だと思います。
文学や小説というのは少なくとも物語を書けるという意味で書く側の1パーセントの人たちだと思います。そこで描かれているのは実際に生きた王様だったり、女王様だったりと生きている人たちだと思うんですね。この作品の考え方とかアイディアとかDNAとしてはいわゆるフィクションの世界をたくさん読むのではなくていろいろなリサーチをする。いろいろな歌を聴いたり覚えたりというところに力を入れています。
実際子供と交換するときに家がいくらぐらいするのかとかというリサーチをしました。そしてそれ以外の簡易的なリサーチをする方法としては歌があるのでその歌の調査もしました。例えば若者がよく好んで歌っていた歌の中には心をほぐすような、緊張をほぐすようなとかを考える前にお腹が空だとどうしようもないよねみたいな歌があるんです。それは大人が歌っているのではなくて子供たちが歌っている歌、お腹がすいてちゃどうしようもないじゃないかという歌があります。今だとどうしても心を重要視しがちというか、心、愛を欲しがる傾向っていうのがあるんですが、当時は心よりもまずはお腹を満たすことが重要だった。また教会に行くということも心を支える上では重要な部分だったんですけれどそういった中で家族ということの方向性というのはどういうものだったのかということを考えたときに、お腹が満たされてないと心が満たされたところで生きていけないので、多分最後にお父さんに対してありがとうっていうのですがそれは恐らくそういうこと、自分を生かしてくれて、自分たちは選ぶことが出来なかった。自分はお腹を満たすためにしょうがないから結婚したけれど結婚することによって自分の人生を永らえることができて自分の子供たちにチャンスを与えることができてお父さんありがとう、っていう風に言ったのではないのかと思います。
 
Q:唯一牛に対してだけとても親身に見えます。残った両親のメタファー的な表現なのでしょうか。
 
マイケル・ノアー監督:この作品は実は4か月ほど前に他界した父に捧げた作品でもあるんです。私の人生の中で父との関係で唯一つながりを持てた関係が犬だったんですね。それからインスピレーションを受けています。私は父を愛していましたし、失ってとても悲しいです。彼自身はとても面白い人だったのですが、ただ人とのつながりを作りにくい、つくるのが苦手な人だったんですね。イェスパー・クリステンセンは私の父の役を演じているわけではないんですが…
私の父は、すごく人を愛したい人だったんですけど、それが自分のエゴと対立してしまう、その2つが対立してしまう人だったんです。人間というのは両方の側面があるとは思うんですけど、それで常にバランスをとろうとしていると思っています。イェンスという役柄も同じで、教会にでて、人前に立ちたいとは思っているけど、人というのがストレスになっているなかなかそれができないというようなことを表現しています。
かなりデンマークぽいかもしれないですけど、ハンス・クリスチャン・アンデルセンのようなヒーロー的感覚です。
 
矢田部PD:映像についてお伺いします。とても映像が美しくて、映像について絵画とか歴史の映画を参考にされましたか。また、カメラは非常に美しくて、アイスランドの『ひつじ村の兄弟』と同じカメラマンだったと思うんですね。彼とどのようなコンタクトをとられたのか教えてください。
 
マイケル・ノアー監督:今回の撮影監督はシュトゥルラ・ブラント・グロヴレンという方で、先ほどの話にあった『ひつじ村の兄弟』や『ヴィクトリア』でも撮影監督を務めています。彼はものすごく、フィクションな作品でもドキュメンタリータッチに撮影してくれます。私達は自然なライティングに影響されて、インスパイアされて撮っています。シーンを細かく分割して撮るよりも、長回しで結構長く撮る方が雰囲気がでると思っているのですが、なかなか今回はプレッシャーもあって難しいんですけども、ロックンロールな感覚でテンポよく進めていました。
あと、見た目には全然こだわっていません。基本的に私がルネやマティルダと撮る作品にはルールが明確になっていて、ルールについてしか説明していません。見た目上のルールというのは、今回この作品については全てイェンスの目線を大切にしています。イェンスが出ているシーンについては他と混ざらないというルールが設定されています。その作品の視点に影響を与えていて、例えば娘が何を考えているのかはこの先に関係がないので、全てイェンスの目で見ていて、それがこの作品のルールになっています。それ以外のことは見せたくない、見せることを強制していないので、全てイェンスの目で語られているようにしたかったんです。

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