10/31(水)、ワールド・フォーカス “イスラエル映画の現在 2018”『靴ひも』上映後、ヤコブ・ゴールドワッサー監督をお迎えし、Q&A が行われました。
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ヤコブ・ゴールドワッサー監督:劇場に入る前にお客さんにティッシュを手渡すのが良いと思うんですけど、とプロデューサーに言いいました。けれど「皆さんに配る分の予算はありません」と言われてしまったので、ご利用の方は映画祭スタッフにお声掛けくださいね(笑)。
石坂PD(司会):この息子さん役の俳優ですけれども、あまりに自然な演技でびっくりしましたがどんな役者さんなのか教えていただけますか。
ヤコブ・ゴールドワッサー監督:ネボ・キムヒさんは15年程知っている俳優さんです。まず、テレビのシリーズで私が演出をする機会があって3シーズン彼と仕事をしました。キャストの一人ではあったんですが、とても人間として心の大きな人であり、知的な方でとても好きな人物です。彼なくしてこの映画が撮られることはなかったと思います。
私自身、長男が特殊なケアを必要とする立場にあります。私は長年、自分を守るため、防衛本能的に私は「レンガの壁」と呼んでいるんですが、それを心の周りに積み重ねて作っていました。ときにそれなくしては大変で、つらい痛みに直面することがあるので、そういった子供をもつ親としてそれを心に持ってきました。
この話は現実の話で、父親が腎臓を必要とし、発達障害を持つお子さんのお父様が腎臓が必要になって、息子さんがドナーになろうとしたんです。ただその移植のプロセスを経るうえで、却下されたというような話があったそうです。2002年頃に私も実際に聞きました。ただあまりそのことはリサーチしていなかったのですが、医師である私の友人が本にしていて、「君の映画の題材に良いんじゃないか」というようなことを私に示唆してくれました。ただ私としては、私にとって自分の痛みに向き合うよりは、他の人の色々な課題を扱ったほうが自分には都合が良いから、あまりに身近すぎて題材にする気はないと思ってきました。私は10年間、この題材から逃げてきたわけです。ただ気になってはいました。で、そんなときにですね、2010年になりますがネボさんがテレビのシリーズで非常に小さな役柄なんですが、発達に遅れのある役柄を演じたんです。そうしたら彼のことを道ゆく人が気づいて色々声を掛けたり、Facebookでこの役柄のページに一万人のいいねが寄せられました。私も実際にインターネットで彼の演技したパートを観ましたが、とても素晴らしい出来でした。とてもしっかり意見を持った役柄で、ユーモアもあって、とても人間的に演じていたので非常に感銘を受けて彼にメールを「とても良い演技だったよ」としました。こんな企画をちょっとあたためてはいるんだけど…って軽く書いたら「すごく良いストーリーだね、是非やろう」というふうに彼が言ってくれて。いやいやちょっと私は精神的に心理的にこれをやる用意も、気力がないんだっていうふうに言ったところ「僕が後押しするよ、力になるよ」っということで彼が非常に賛同してくれたので、それだったら普通より、中より上のいい映画を撮れるのではないかと思いました。
この映画によって人々の意識を変える何らかのきっかけになるのではないかと思いました。私たちは寛容なふりをしてというか、自分と違う人を理解しているつもりでいますが、この人は何が足りないとか、何が欠けているとかそういうことばかりに注目して、その人がどんなことができるかということは忘れがちだと思います。そして悲劇的な題材でもありながら、どこか楽天的な映画になるんじゃないかなという期待を持っていました。
※※※以下、ラストシーンを含めた内容についての言及があります。お読みの際はご注意ください。※※※
Q:ふたりが手をつないで1本道を歩いていくところはこの映画のテーマを物語る象徴的なシーンだと思うのですが、その辺りはどのような感じで撮られたのですか。
ヤコブ・ゴールドワッサー監督:どうして父親を殺してしまったのだと多くの人から言われました。私の親友の監督からも「絶対に父親が死ぬというエンディングはいけない」と説得されましたし、プロデューサーにも「それによって5万人がこの映画に失望するよ」と言われました。ですが、最終的には私の意見を尊重して、あなたがいいと思うならその内容でやってくださいといわれました。父親が亡くなるという設定にした理由をふたつお伝えします。
最初の理由は、より重要でない方の理由ですが。映画のスタイルという面から私は非常にクリアな、ある意味きちんと明確なビジョンを持って映画として説得力のあるものを作りたいと思っていました。もし父親が死ななかったと仮定しましょう。98~99%の映画はそうでしょうね、ハッピーエンドです。ただ、映画としてそこそこの映画になってしまうんじゃないかと思います。あと、本当の意味の楽天的な終わり方にしたかったとすれば、ちょっとそうではないと思います。ふたつめがより哲学的な理由と言えますが、父親がガディの人生からいなくなる、それはどういうことか、つまりガディは解放される、親の影、父親がいないということによって自立して次の人生のレベルに踏み出すことが出来るということですね。ですからガディを人間的に成長させるということにおいては有効なわけです。
石坂PD:私も二番目の理由は本当に同感と言いますか、納得しました。
Q:靴ひもが結べるようになったということで、父親がいなくなったことがより象徴的になったと思います。
ヤコブ・ゴールドワッサー監督:実はガディは最初から靴ひもが結べたんです。最初の結べないシーン、あれは演技ですね。つまり、助成金というか生活保護、保障のお金が必要だということで、そういうふりをしたわけです。二番目の透析の、臓器の提供のときは、あまりにナーバスになって、怒っていて、コンディションが良くなかったので、結ぶことが出来なくなってしまった。ただ三度目、アプローチした女性が、初めて「彼氏がいない」って言いましたよね。そういう人に初めて会えたので、「よし!」ということで、リラックスして結ぶことが容易に出来たという設定なんです。
石坂PD:『それぞれの道のり』のギドラット・タヒミック監督が客席にいらっしゃいます。
ギドラット・タヒミック監督:昨日、監督と同じタクシーに乗って、この作品を観たいと思って今日鑑賞しました。心の英知、機知というか知恵、まさにそこだと思うんですね。私たちはそこを見失っているんじゃないでしょうか。病院で壁に阻まれるわけですよね。ガディはお父さんを救いたいという純粋な気持ちなのに、彼がお父さんを救いたいというその気持ちよりも何らかの踏まないといけないプロセスであったり、官僚主義というのが立ちはだかるわけです。これは論理的なことじゃないんですよね。最後に彼の姿勢が説得して、ある意味大きな勝利だと思います。こういったアプローチがまさに今、世界が必要としていることなんじゃないかな、それがメッセージだと私としては理解しました。
ヤコブ・ゴールドワッサー監督:ガディが周りの人たちを説得したシーンを撮った後なんですが。私が病院を歩いていると、ロケをする際の色々電気系統とかそういったことをやってくださるクルーの人が私に「このシーンには本当に心を打たれて泣けました」という風に言ってくださったんです。セットを作ってくれる人であったり、現場の人は毎日こういうことをやっているので、非常に機械的に仕事をこなしていて、多分どんな撮影がされているか、内容に気を留めることもないと思うんですが、彼はあえて私のところに来て、そういった気持ちを話してくださった…それが一番私は映画を作った中で感動しました。
石坂PD:最後はフィリピンとイスラエルの監督同士の対話という大変貴重な場面にも遭遇出来て良かったと思います。
ヤコブ・ゴールドワッサー監督:私はあと何時間も話せるんですけどね。朝の2時までは話せますよ(笑)。
石坂PD:延長戦は劇場の外で…(笑)。
ヤコブ・ゴールドワッサー監督:日本は時間できちっと管理されていますから(笑)。どうもありがとうございました。