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2018.11.12 [イベントレポート]
「私の心の自由のためにこの映画を作りました」10/31(水):Q&A『大いなる闇の日々』

大いなる闇の日々

©2018 TIFF

 
10/31(水)、コンペティション『大いなる闇の日々』上映後、マキシム・ジルー監督、マルタン・デュブレイユ(俳優)をお迎えし、Q&A が行われました。
作品詳細
 
マキシム・ジルー監督:まず東京国際映画祭の方々に。ご招待していただきありがとうございました。日本で私の映画が上映されるのは初めてですので超ハッピーです。とても光栄ですし、とても嬉しく思っています。
 
マルタン・デュブレイユさん:私もマキシムの意見と同じです。
 
矢田部PD(司会):こういう作品をいつも作られる監督なのかなと思われるかもしれないのですが、前作と本作は全くスタイルが異なっています。前回と比較する必要はないのですが、今回このような不条理な邪悪を着想された経緯を教えてください。
 
マキシム・ジルー監督:前作は他の文化や他者に対してオープンである、理解しようとするテーマだったのですが、今回は真逆です。前作を作ったのは5、6年前なのですが、この4年の間に世界がガラっと変わりました。アメリカではトランプが大統領として選出され、世界で色々なことが起こっていて、それは私を非常に怖がらせています。また脚本を書いた人も同じように「恐ろしいことが起こっている」と。ある意味でのこれは現代社会への警鐘になっているのですが、私が思う世界の現状からこういう作品になりました。
 
矢田部PD:マルタンさんは前作にも出演されていて、今回は自分の身に何が起きているかわからない男を演じているわけですが、監督が意図しているメタファーがたくさんあるとしても、かなり自分の役についてどう感じ、挑戦されたのでしょうか?どのように今回の役に取り組まれたのでしょうか?
 
マルタン・デュブレイユさん:最初、監督は2人の人物像をあげて、「この人たちを参考として考えなさい」と言ってくれたんです。今回の作品も、前の作品もそうだったのですが、参考の人物をあげてくれますが、撮影に入ると「僕が言ったことは全部忘れろ。この人物はあなた自身なのだから」と言います。実は、私はそのとき別の映画に出ていたのですが、そちらの方の人物像はすごく準備をした人物でした。その映画の撮影が終わって3日後にこちらの撮影に入ったので、今回の映画は準備する暇も、考える暇もなく、入って行った感じです。でも監督とはわかりあっているので、上手くいきました。
 
マキシム・ジルー監督:私はマルタンさんにふたつのお願いしました。ひとつは脚本を読むなということです。なので、多分彼は撮影現場に行く飛行機の中で初めて脚本を読んだと思います。もうひとつはチャーリー・チャップリンの映画を観るなとお願いしたんです。でも多分彼はちょっと観たんじゃないかと。聞いたら1回だけ観たとお答えになったのですが、1回以上見ていると思います。というのはチャーリー・チャップリンっぽい動きをしてほしくなかったんですね。なので撮影中はチャーリーチャップリンをやるなよ、と言っていました。
 
マルタン・デュブレイユさん:小さいときからチャップリンさんのことは知っているから無理だよ(笑)。
 
Q:登場人物たちはどのような視点で、どんな風に、何を表しているのかを伺いたいです。
 
マキシム・ジルー監督:とてもいい質問です。おっしゃる通り、いろんなレベルで理解できると思います。一番最初のレベルはあのキャラクターは私たちと同じである、社会のシステムのひとつであるということです。私たちはそのシステムの犠牲者であるということなんですね。システムと戦うにはそのシステムの一部にならないようにする。それしかできないわけです。システムから外れると人は死んでしまう。ふたつめのレベルは、アメリカの文化、今世界を支配しつつあるのがアングロサクソンのイギリス的な文化だと思っています。映画を観てもそれがとても備わっていると思います。日本はちょっと違うかもしれませんけれども、そういう中で自分たちの文化、自分たちの言語を守ろうとして戦っています。私は、世界の中で違う文化、違う言語があるということが美しいと思っています。3番目のレベルは私自身なんです。私は生計を立てるために、テレビコマーシャルを作っています。先ほど申し上げたようにシステムが頂点にあるわけですね。マーケティングの頂点にあるということで。それは映画にも言えて、映画もだんだん売ることが大事になってきています。ですので、商業的でない映画を作ることはだんだん本当に難しくなっています。
結論を言うと、私がこの映画を作った理由は、このシステムから自由になるためです。商業的に成功しなくても私の心の自由のためにこの映画を作りました。そういう意味で、この映画の主人公は私でもあります。そのシステムの中で戦っている、あるいは映画の状況の中で戦っているという感じでもあります。だからこの映画にチャップリンを起用したわけでありますけど、この映画の最初にチャップリンのスピーチシーンがありますが、実際には70年前スピーチをしているわけです。この70年前に訴えかけられたことを今も私たちは同じように発しているわけです。
 
矢田部PD:独裁者の冒頭のスピーチですが、チャップリンが自由の象徴なわけですけれども、アメリカでは50年代にハリウッドから追放されてしまうということで彼の自由も奪われると。ということでしかるべき自由なき世界を予想させているというようにもとれました。
 
マキシム・ジルー監督:その通りですね。
 
Q:システムに抗うとか、高圧的な権力と戦うとかいうお話がありましたけれど、最終的に権力を持つ人を倒すわけですよね。殺して、ひどい扱いされた方も解放されるわけですが、権力やシステムに対抗するためには暴力はやむを得ないのか、それともあくまで非暴力で戦うべきなのか、監督はどのようにお考えでしょうか。
 
マキシム・ジルー監督:非常に難しいんですけれども、このシステム自体が暴力を使っているわけではない。しかし、いつこのシステムを壊せるかというと、私たちが壊せるわけではないんですよね。私たちが暴力を使って壊していくのではなくて、システム自体が自分で破壊していく、崩壊していくということなんだと思います。私はこの映画の中で、このシステムが自分で内部崩壊していくのを待つしかないと思っています。また、システム自体は暴力的ではないんですが、私たちが暴力的になっている部分はあると思います。例えば、攻撃的すぎることによって自然を破壊したり、安すぎる賃金を支払うことによって暴力的であったり、あるいは老人に対しては福祉にあまり積極的にお金を使わないことによって暴力的になっていることがあると思っています。これがシステムだとわかっているんですが、私は希望を抱いていません。
 
矢田部PD:フランスのスターがたくさん出演されていますけれども、彼らに関してはどのような経緯で映画に出演することになったのでしょうか。
 
マキシム・ジルー監督:レタ・カテブは普通に友人なんですけれども、こちらにいるマルタンのようないい役者さんと一緒に仕事をしていると、他のいい役者さんが来てくれやすいんですね。ロマン・デュリスさんは私の脚本を読んで、ほかの私の作品を観て「いいよ、出るよ、一緒に楽しもう」と言ってくれました。
 
矢田部PD:マルタンさんが、泥の中でロマン・デュリスさんと対峙するシーンは、なかなか大変なシーンだったと思います。あのシーンの撮影時のエピソードなどありましたら、お教えください。
 
マルタン・デュブレイユさん:私は、本当に予算のない映画をたくさんやってきたんですが、この日撮っているときは変な状況でしたね。尊敬し、出演作もたくさん観てきたロマン・デュリスさんが私の目の前にいるのに、私は泥の中にいて、彼は上にいて、「ああ、同じレベルじゃないんだなあ」と思いました(笑)。その後でみんながランチに行くことになったとき、美術の人がタバコをくわえながら、私を泥沼の中から引っ張り上げてくれて。私はその洞穴の暗いなかでランチを食べて、ロマン・デュリスさんやプロデューサーは外でランチを食べていることがおかしいなと思った。私は今はケベックではまあまあ知られている普通の俳優なのですが、その状況だと昔の短編映画をやっていたときとまったく同じだなと思いました。
 
マキシム・ジルー監督:あの時は技術の人などといろいろな話をしていて、うっかりマルタンさん泥の中にいることを忘れていたんです。あの状況を作るのも大変でした。泥の中にいても体が上がってきてしまうので、みんなで押し込んで押し込んであのような状況にしていました。
 
矢田部PD:ソコ(ステファニー・ソーコリンスキー)さんも有名モデルですし、あの役をやっているのもとんでもないと思うのですが、それについて監督は彼女とどんな話をされたのですか。
 
マキシム・ジルー監督:彼女は本当は猫をやりたがっていたんです。猫をやりたいといったのですが、「だめだ、ちゃんと脚本を読め。犬だろ」ということで。彼女にOKをもらったのですが、私にとっては本当にすばらしい、超優秀な犬です。撮影が始まってから、彼女は非常に後悔していたようです。もちろん脚本を読んで、暴力的なシーンだとわかっていたのですが、かなり大変だったので後悔はしていましたが、最後までやりました。
 
マルタン・デュブレイユさん:彼女はすごく繊細な女優だからね。

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