10/29(月)、ワールド・フォーカス イスラエル映画の現在 2018『赤い子牛』上映後、ツィビア・バルカイ・ヤコブ監督、撮影監督のボアズ・ヨナタン・ヤコブさんをお迎えし、Q&A が行われました。
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ツィビア・バルカイ・ヤコブ監督:皆さんお越しいただき、本当にありがとうございます。私はツィビアと申しまして、監督でありこの映画の脚本を書いたものです。この映画は私の個人的な体験がもとになってできたものです。私自身、宗教的な家庭に生まれ育ちまして、入植地で育ってきましたので、この映画は私の個人的な体験のひとつの形ということがご理解いただけると思います。
ボアズ・ヨナタン・ヤコブさん:皆さんこんばんは。今日は来ていただいて本当にありがとうございます。私は一週間ほど東京に滞在しております。色々な国から来られている皆様との出会いがあり、非常に素晴らしい場所だと感じております。本作では、主人公のお父さんであるヨシュアという人物が非常に極端な思想を持った人として描かれておりますが、そのキーワードになるのが罪を償う“贖い(あがない)”という言葉になります。この赤い牛が生まれたことを、贖い(あがない)が一歩近づいた兆候として見ているわけですが、私自身も宗教的な家庭で生まれ育った人間として、贖い(あがない)を違った角度から描いてみたかった。私は遠く離れたこの日本の地でこうやって皆様と一緒にこうやっていることができる、それは違った意味での贖い(あがない)をひとつ前進させるものだと思っております。
石坂PD:東エルサレムが出てきますが、このお話の舞台背景などを簡単に教えてください。
ツィビア・バルカイ・ヤコブ監督:この映画の背景になっている東エルサレムというのは、アラブ人の方が住んでいる地区です。その中で少数のユダヤ人もそこで生活しています。彼らは宗教家で、このエルサレムをユダヤ人のものにしたいという願いから、アラブ人の地区に住んでいるわけです。
この映画の中にでてきました、ヨシュアたちが入ろうとしていたところ、それが神殿の丘と呼ばれる場所になります。そこはかつてユダヤ人の神殿が建っていた場所であり、次の神殿を建てるならこの場所だといわれているところになります。私が子供のころにはあの地域に近づいては駄目だと、ユダヤ教の教えで気軽に聖なる場所に近づいては駄目だと言われていました。しかし、今は考えが変わってきていまして、あの場所に入ることによって、次の神殿が建つ時期が早まるんじゃないかと言われています。
石坂PD:主演を務める2人の若い女優さんは、プロの俳優さんなのでしょうか。
ツィビア・バルカイ・ヤコブ監督:主演のベニー役を演じていた女の子は、もともとはミュージシャンです。彼女も宗教的な家庭で育ったという背景を持っています。もう一人のヤエル役を演じていた女の子はイスラエルでは有名な女優で、彼女はプロの女優です。主演にプロではない人をもってきたということで、彼女は真摯に映画に向き合ってくれまして、ヤエルから色々なことを学ぼうとする姿勢ですとかそういったものが彼女からは強く見ることができました。全部プロの俳優で固めることが良いということではない、ということをこの映画で学びました。
石坂PD:作品の中の父親像を極端なキャラクターとおっしゃいましたが、ああいう父親像というのはイスラエルではよくいるのでしょうか。それとも、やはりドラマとしての作ったものなのかその辺りが知りたいです。
ボアズ・ヨナタン・ヤコブ撮影監督:ああいった方はそんなにたくさんいるわけではありません。父親役のヨシュアさんを演じた俳優はイスラエルで有名な歌手なんです。彼もそういったプロの役者ではないわけなのですが、彼はロック歌手なんです。彼を選んだ理由というのは、宗教的な人物ではなく、真逆な人物を持ってきて、あまり感情移入しない人を選びました。それが非常にうまく出てよい配役になったと思います。
Q:イスラエル映画は非常に多く作られているんですが、日本に輸入されるのは非常に少ないんです。今までは戦争を題材したものが多かったと思うんですが、最近は性的少数者をテーマにした作品も作られ始めていますね。イスラエルの本国での現状はどうなのですか?何か他にムーブメントがあるのかお伺いしたいです。
ツィビア・バルカイ・ヤコブ監督:私自身が宗教的な家庭で生まれ育っておりますので、主人公のベニーが、非常に窮屈であったり、もっと寛容性が必要なんじゃないかと感じて育ってきたことに共感できます。
そういった環境の中で、性的少数者にとっては更に肩身の狭い世界というのがこの宗教下の世界になるわけです。肉体的な欲求ですとか、そういうものをなるべく抑制しようとする部分もありますので、性的少数者にとっては尚更生きていくのに大変な世界ではあります。
この映画祭でイスラエルの映画のうちふたつが、性的少数者の人を取り扱っているっていうのは非常に偶然の話なのですが、今イスラエルのユダヤ教の中でも少しずつ変わりつつあるのが、そういった宗教家の方も同性愛者であっても、認めるというような運動をしているところです。今まででしたら、自分の宗教を離れなければ、同性愛というものは認められないところでしたが、グループはユダヤ教を離れる必要はないと、ありのままを認めて、そのままユダヤ教徒として生きていくということを始めているグループがふたつあります。これはまだまだ始まったばかりなので、全く大きな運動にはなってません。
石坂PD:今回この特集を組むのに相当たくさんイスラエル映画を観まして、もちろん作品重視です。テーマを決めて選んだのではなくて、大変素晴らしい映画を選んだらそういうテーマのものが2作品入ってたということです。
Q:非常に特殊な背景を持った映画、そして東エルサレムという非常に特殊な場所を描いていますが、イスラエルならともかく外国に出品したとき本当に理解されるんだろうか?という疑問はありませんでしたか?
ツィビア・バルカイ・ヤコブ監督:
おっしゃる通り、イスラエル以外で上映するというのは私にとって非常に大きな挑戦でした。ただこの映画の中で描かれているのは、人間愛であり、親子の愛のお話である。そういった絆というものは、普遍的なものだろと信じておりましたので、きっとイスラエル以外でも理解してもらえるだろうと私は信じていました。
イスラエル人からも、外国の方からも評価をいただきましたが、宗教的な人の評価と、宗教的じゃない方の評価、色々な評価があっていいと思うんです。今日観られた方の感想を是非聞きたいです。
※※※以下、ラストシーンを含めた内容についての言及があります。お読みの際はご注意ください。※※※
石坂PD:観客にいろいろなことを考えさせられるラストですけれども、ラストはすんなり決まったのでしょうか。いろいろ考えられたのでしょうか。
ツィビア・バルカイ・ヤコブ監督:あのラストシーンに至るには非常に何度も脚本を練り直す必要がありました。赤い子牛とラストシーンを重ね合わせる必要があったのですが、あまり極端な方向にもっていきたくはなかったんです。まず決まっていたのは、ベニーはあの場所を去らねばならなく、赤い子牛はあの輪に残るという部分でした。