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2018.11.07 [イベントレポート]
「もう一度家族について考えられる映画になったらいいな」10/28(日):Q&A『鈴木家の嘘』

Lying to Mom

©2018 TIFF

 
10/28(日)、日本映画スプラッシュ『鈴木家の嘘』上映後、野尻克己監督をお迎えし、Q&A が行われました。
作品詳細
 
司会:監督ご自身の経験を反映されているということが、よりオリジナリティを出せて良かったかなということでしたが…
 
野尻克己監督:僕の経験というのは兄が自ら命を絶ってそこを元にはしているんです。僕は今まで家族のことに無関心でいたんですけれども、兄の死以来、家族について考えるようになりました。僕にとって家族というものは、兄が死ぬ前までは重要ではない位置づけではあったんですけれど、実際いた家族がいなくなるというのは自分にとってものすごく体の一部が削られたような気持になりました。そこから今まで頭の中になかった家族というものの存在がどんどん大きくなってきてメモ書き程度のものが大きくなって脚本となっていったという感じです。
 
司会:それはずいぶん前から書かれていたんですか?
 
野尻克己監督:そうですね。脚本を書いたのは4年前ぐらいだと思うんですけれど、これだけを書こうというよりはちょくちょく書いていました。
 
司会:温めていたということなんですね。
 
野尻克己監督:そうですね。なかなかオリジナルを通すのが難しいこともあったので機会を狙いつつという感じではありました。
 
司会:それがデビュー作だったということだったんですね。
 
野尻克己監督:はい。そうですね。
 
司会:親戚全員集まって昔の話をする…何回も何回も同じことを聞くんですけれども、冠婚葬祭じゃないとなかなかみんなで会うというのはないですよね?
 
野尻克己監督:そうですね。僕は家族の団欒というものが別にないというか、あまり過ごした経験がありませんでした。ただ葬式ってものになると今まで集まった家族が否応なしに集まるんですよね。そこで団欒しなかった家族が皮肉にも家族が死んだことによって団欒をするっていうことが、僕にとってはなんだかすごく皮肉だなって思ったんです。それでそういう所で出てくる親戚の方とかも面白かった経験が、もちろん全部入れている訳ではなくほとんど作っているところもあるんですけど、経験を生かしているところもあります。
 
司会:岸本加世子さんみたいなおばちゃまがいたんですか?
 
野尻克己監督:いや、いないですよ(笑)いないけど、直情的な方はいらっしゃいますよね。どちらかというと僕らの家族は悲しみをちゃんと受け止めきれなかったんですけれど、すごく直情的にボロ泣きしてしまう親戚のおじさんやおばさんが居たっていうのはよく覚えています。でも僕らはそのどちらかというと突然亡くなったことに対してどう感情を動かしていけばいいか分からなかったので、正直一年ぐらいは家族でフリーズ状態みたいな感じでした。
まず、なぜ?みたいなのが浮かんで、やっぱり罪悪感っていうのがちょっとあって。自分の、家族のせいでそうなってしまったのではないかという感情に蓋をして生きてきたとこがあった。でも葬式とかでああいう人たちが暴れだしたりとか、逆にそういう場面は面白がっていた自分がいるんですけれどもね。
 
Q:富美役の木竜麻生さんがとっても素敵だったんですけれども、彼女を選んだ理由を教えてください。
 
野尻克己監督:彼女はオーディションとワークショップを経て選んだんですけど、少し重いテーマではあるので、もちろんああいう芝居が出来るっていうことがもちろん大事だったんですけど、笑顔が良かったなっていうのがまず1つあって。昔の『Wの悲劇』の頃の「薬師丸ひろ子さん」っぽいっていう、少し素朴なんだけど、すごく芯の強い感じのところがあるのと、彼女はすごく自分の気持ちに寄せようということをすごく努力する女優なので、その辺がすごく僕はやりやすかったです。
 
司会:新体操もインする前に練習していたのでしょうか?
 
野尻克己監督:最初脚本は陸上部の設定にしていたんですけど、彼女が9年間新体操をやっていたということで、それはどちらかというと僕が主人公をやっていただく演者の方に寄せていったほうがいいと思っているタイプの監督なので。彼女が気持ちが投入しやすい競技にしたほうがいいと思ったので、7年くらいブランクがあったので、もう一度練習しなおしてもらいました。国士舘大学って結構新体操が強豪なんですけど、コーチ、監督に教わって、4か月くらい練習してもらい、本職のようにしていただきました。周りにはオリンピック選手がいらっしゃいましたね(笑)
 
司会:プロの中でやられていたんですね。撮影期間はどのくらいだったんでしょうか?
 
野尻克己監督:日数でしょうか。1か月なかったですね。24日とか、休みも入れてそれくらいだったかと思いますね。
 
Q:コウモリより実際鳥のほうが綺麗に見えて、印象がいいのかなという感じを受けたんですが。それをあえてコウモリにした理由を聞きたいなと思いました。
 
野尻克己監督:部屋の中にいるコウモリは、まず昔、木竜麻生さんが演じた富美と加瀬 亮さんが演じた浩一が子供の時に一緒にコウモリを見たという思い出がありました。よく河原の近くにコウモリがいて、僕の田舎でも河原で飛んでいました。浩一が自分の部屋にいつもコウモリが入っていることを知ってて、それを富美に見せようと思って夜更かししていたんですよ。コウモリにしたっていうのは、確かに鳥のほうが綺麗かもしれないんですけど、ずっと富美と浩一の共有の思い出の中で、コウモリがいたというのがあって、あれは浩一の魂なんですよね。化身というか、生まれ変わりにしたかった。魂にね。鳥の方が綺麗だったと言われればそうなんですけど(笑)コウモリが可愛いかなってのも勿論あるんですけど。原 日出子さん演じる悠子があそこでみんな一緒に土手でコウモリを見たっていうのは、嘘というかそういう気持ちになったっていうことを表現したかった。
結構家族って自分たちが思い込んでいる思い出が事実と反していっぱいあったりするなって思ってて。お母さんがそう思ってても実は子供は覚えてないとか、そういうことをちょっとやりたいなって思っていて。あそこ自体はそんなに事実の整合性はないんですよ。「あの時皆で見たじゃない」ってことが意外に家族でかみ合ってなかったりすることもあって。それはちょっと予知夢でもあったっていう。結果富美は寝たまま見てないんですけど。皆で見たということがなんとなく頭の中にあった。それが四人共通の素敵な思い出になっていて母親が思い込んでるということをやりたかった。鳥っていうよりはコウモリの方が印象に残るかなという気持ちは勿論あるんですけど、あとアルゼンチンには吸血コウモリという有名なコウモリがいるんですよ。それでコウモリの方がいいかなって思いました。
実は吸血コウモリにしたいなっていう思いがあったんですよね。あと日本の反対側っていうのが一番距離としても嘘をついててもおかしくないかなっていう。なんとなく説得力があるかなって。ちょうど日本の反対側なんですよねアルゼンチンって。それでそうしました。
 
Q:監督のなかでは浩一が引きこもった理由のイメージはありますか?
 
野尻克己監督:結論からいうと分からなかったですよね。ただ理解はできるところがあって。男性は特になんですけど自分の理想と現実が離れすぎちゃうところがあって。どうしても社会に出ることが怖くなっちゃうとか、皆と会うのが怖くなっちゃうとか。自分の中で自分に強い執着心を持ってしまうところがあると思うんです。引きこもってしまうというのはもう一回自分を作り直して生きてるんじゃないかと思ってて。ただやっぱり日本というのは大学出てすぐ就職するとかそういう社会的通年が蔓延していて、引きこもってる人はマイナスなイメージを捉えるという世の中があると思うんです。実際本人は自分で一番社会に出られてないことを分かっているのでそういうことをちゃんと考えているという時間が必要なんだと僕は思います。
 
司会:ありがとうございます。この作品は2018年11月16日から公開になるんですよね。
 
野尻克己監督:僕自身が家族について分からないということを考えて作った映画なので、皆さんも、もう一度家族について考えられる映画になったらいいなと思っています。ただ僕自身だけの話にするつもりは全くなかったので、もっと皆さんに幅広く観てもらえたらいいなと思っている映画です。劇場でまた観ていただければとても嬉しく思っています。

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