10/28(日)、日本映画スプラッシュ『漫画誕生』上映後、大木 萠監督、イッセー尾形さん(俳優)をお迎えし、Q&A が行われました。
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イッセー尾形さん:僕はまず監督さんに聞きたいですね(笑)。この映画をどうして撮ろうとしたんでしょうか?(笑)
大木 萠監督:北沢樂天という人は私は全く知らなかったんですけれども、埼玉の北沢樂天顕彰会という、樂天を広めていこうという、活動をしている方々がいまして、その方からこういう人がいるんだけれどという話を聞いた時です。元々、漫画家になりたいなという時期がずっとありまして、漫画家になりたかったって言ってたのにも関わらず知らなかったな、と思うことがありました。尾崎放哉っていう自由律俳句の人がいるんですけど、その人の映画をずっと撮りたいなという風にも思っていまして、日本の文化に貢献したんだけれども、意外とみんな知られてないっていうところの共通点が、北沢樂天と重なって見えたので、非常にいい機会だなというのがあってお受けしました。
MC:イッセーさんはユニークだなというところに惹かれましたか?
イッセー尾形:監督からはお誘いを受けたときは北沢樂天という人のことは知らなかったです。北沢樂天の一生を撮るので、僕は晩年の時代を演じました。最初に20代ぐらいから演じませんかってオファーが来たんですよ。その時は本当にユニークだなと思いましたね(笑)。
MC:20代はお断りしたんですか?
イッセー尾形さん:いくらなんでもねぇ。頑張っても40代からかなと思いました(笑)。
大木 萠監督:イッセーさんならいけるかなと思ったんですけど。
イッセー尾形さん:いけるかと思っても、問題にもなっちゃいそうでしたから(笑)。それで直接会ってお話を聞いてみたら、すごく熱心で、すごく惹かれる脚本でした。その当時のことは知りませんけれども、描かれた時代を経てきた人がいるということです。時代の寵児みたいな人だったのに、その後、戦後や色々なことがあって、時代からそっぽを向かれちゃった人という、そういう人物には惹かれるものがありました。
MC:今日の観客の皆さんの中に、映画を観る前から、北沢樂天の存在を知っていたという方いらっしゃいますか?
客席の方:北沢樂天を知ったのは、10年くらい前、テレビで漫画が世界で注目され始めましたよっていう深夜のドキュメンタリーで観たのがきっかけでした。そこで北沢樂天っていう人を知って、手塚治虫さんが漫画の発祥だと思っていましたが、明治から漫画を描いている人が実はいたんだっていうのにすごく衝撃を受けて、一瞬で覚えましたね。映画はとても面白かったです。
MC:今回樂天さん役をイッセーさんにお願いした理由は何ですか。
大木 萠監督:顔が似ているというのが1つあるんですけども(笑)。
元々イッセーさんのファンだったというのもありますし、私はイッセーさんは映画の人というイメージがあったので、映画俳優のイッセー尾形という人が憧れで、やっぱり顔も似てるんで、イッセーさんしかいないなと最初から思いました。
イッセー尾形さん:自分でも思いましたね。樂天さんの顔写真をいただいて、その時洗面所の鏡を見てひげを整えて眼鏡つけたら、うん、いけるなと思いました。
大木 萠監督:自撮りが送られてきました(笑)
Q:北沢樂天という人物を描く上でバランス、苦労された点、意識された点などがあればお聞かせいただければと思います。
大木 萠監督:苦労しかなかったです。極力説明は避けようという方向で切り替えました。途中の脚本の段階で、逐一説明している部分とか、テロップをたくさん入れたり、編集の段階でもテロップを入れていたんですけど、テロップ自体を全部とったんですね。近藤日出造とか横山裕一のことは、わからないならわからないでいい、その時代に、樂天の周りにいた一漫画家という形で受け入れてもらえればいいかなと。ただそれだとあまりにもなので、最後の人物紹介を入れて、最後にこの人だったら知っている、この人の名前なら知っている、こういう人だったんだというのをわかってもらえればいいかなという構成にしました。テロップで説明するかどうかというのは賭けというか難しかったです。無いほうが映画に入りやすいかなと思っていて、別に説明をしたかったわけではなかったので、そこは説明をしない方向にもっていきました。
MC:前半のイッセーさん演じる樂天に向かって「時代遅れなんだよ。」というシーンがすごく印象的ですが、実際の会話なのでしょうか?
大木 萠監督:時代としてみたときに、若手が対等してくるのは否めないので、想像してわかりやすい形で表現しました。
イッセー尾形さん:あのシーンには宿題が出ていまして、思いついたのがとにかく最終的にちゃぶ台をひっくり返そうと。
大木 萠監督:それだけが目的といいますか、うまいことひっくり返してくれました。
MC:アドリブはありましたか。
イッセー尾形さん:全部がアドリブでしたよ。よく映画になりましたね(笑)
大木 萠監督:立ち上がった後からほぼアドリブですね。
イッセー尾形さん:説明と人物達の内面をどうするかという、まさしく、ドラマといいますか、落とし込みを考えたシーンにもなっています。だから好き勝手にやったシーンではないんですよね。
Q:言い方が悪いかもしれませんが、時代と寝ることが彼の作家性だったように見えたのですが、監督はそういう風に描きたかったのかという点をお聞きしたいです。
大木 萠監督:非常に正しい理解をしていただいて、とても嬉しいです。
北沢樂天は初めて漫画を職業にした人ということで、資料から色々見ると、すごい偉大な人とかすごいことをしたんだという資料が多かったんです。時代に合わせていったのが、北沢樂天の良さだったと私は解釈していて、それはある意味彼のずる賢いところ、まさに時代と寝るとおっしゃっていただいたのは非常に嬉しいなと思っていて、そういう人なんじゃないかなという仮説のもと、今回の脚本を作っています。それが正しいのかどうかわからないですし、本人が本当にどう思っているのか、文献に残っていないのでわからないんですけども、一つデータがありまして、大逆事件っていう事件があったんですけど、映画の中にもありましたが、その前は北沢樂天は社会主義というものを肯定する絵をたくさん書いてバンバン売れていたんですが、大逆主義をきっかけに社会主義を肯定する画風をガクッとまったく逆のことを書き始めるというデータありまして、それを知った時にわざとだなと思ったんですね。あえて自分の貫くことっていうのを折ってとまではいかないのですけど、自分が書き続けるためにはどうしたらいいのか、本能的にわかっている人だったんじゃないのかなと思います。それがずるいとか卑怯者とか言われることがあったのかもしれませんが、事実、北沢樂天の画風ってオリジナリティがないねという風に、当時の若手の中では言われていて、それをちょっと気にしていたというのもあったので、私はそのずる賢いところに非常に人間性を感じていて、それをイッセーさんが演じることは可能だなと思っていました。むしろイッセーさんじゃないとずる賢いけれども、愛嬌があって非常に人間らしいというのを表現できないだろうなと思っていました。
イッセー尾形さん:そのことに僕は、気が付いてないのね。あるシーンで「お前には何もないじゃないか、お前には何がある」って言われて書いた顔が奥さんの似顔絵だったというのは、大木監督の優しい脚本だったなと僕は思いました。
MC:イッセーさんはこの樂天さんの生き方というのはどんな風に感じていますか。
イッセー尾形さん:奥さんがいい人でね。全部わかっていて。羨ましいですね。やりたい放題やって(笑)
Q:夫婦愛を描こうと思いましたか?
大木 萠監督:実は最初は夫婦愛を描こうとは思っていなかったんですけど、最終的にあがってきた脚本にそれがあって、最初に見たときには違うだろと正直思いました。何度も読んでいるうちに、夫婦愛というよりかは樂天、結局絵が好きで描き続けていて、漫画でも絵でも仕事はなんでもいいんですけど、じゃあ結局なんでその仕事をしていたのかと改めて聞かれたときに、意外とそのきっかけとか理由って、大した事じゃないんだなというところに非常に親近感を持ったというか、子供とかが一番最初に描く絵って好きなお母さんの絵とかお父さんとか家族とか身近な人の絵を最初に描くと思うんですけど、その頃から樂天というのはずっと変わらなく、絵を描く仕事に対する考えというのは多分そのときから変わってなかったのかなって感じました。だから最後に描く絵は奥さんでいいなと思って、撮り始めたときには、実はまだそこまで硬い夫婦愛というのを最終的なテーマにするというのは、まだ頭の中ににあんまりなくて、篠原ともえさんのお芝居が本当に素晴らしかったんですね。非常にびっくりしちゃったというか、こういう奥さんというのは本当にいろんな表現者というものを支えてきた奥さんなんだな、奥さんというのはそういう人なのかなと、あのお芝居を見て編集を変えたところがありました。特にあのように奥さんの印象が非常に強くなるものになったのは自分で作品を観た後にちょっとびっくり部分でしたね。
MC:犬も登場しますが、俳優犬なんですか?
大木 萠監督:いや、居酒屋の隣にいる人から借りました(笑)
スピッツがレンタルペットや、タレント犬でもいなくて、助監督さんに「スピッツはいないから、別の犬にしてくれないか」と、でも樂天先生が実際に飼われていたのはスピッツだったのでどうしようかとなった時に「うちにスピッツいますよ」って、それで当日お願いしますという流れでした。
イッセー尾形さん:あの犬にはなつかれて、やっと俺の出番だと感じましたね(笑)
話を聞いていると本当にこの映画は手作りで皆の想いに支えられた映画だなという気が改めてしましたね。
Q:絵作りについて?検閲官とのシーンは2カメラの長回しでしょうか?
大木 萠監督:まず技術に関しては本当に苦労しました。築170年ぐらいの古民家が岩槻にありまして、これも飲み屋で知り合ったおじさんからの紹介です(笑)。その方に登録文化財になる前に使ってくれないかと言われて、半信半疑で見に行ったら、映画にぴったりで、ほとんどその一軒で撮影しているんです。ハウススタジオみたいな感じになっていて、そこに道具を運び込みました。道具も近くの古民家から借りてきたものだったり、あとはみんなで集めました。カメラマンの方と相談して、なるべく小さい画でいこうと決めました。狭い家だったのでシネスコでは映ってはいけないものも映るので結構きついのではないかという話をしていました。今回はあるものでやろうというと、それをなんとかカメラマンさんとうまく連携がとれてできたのかなと思います。
検閲官とのシーンは2カメでほぼほぼワンカットでしたね。
イッセー尾形さん:2カメってカメラが二つあること?
大木 萠監督:そうです。イッセーさんに向けたカメラと、稲荷さんに向けたカメラを用意して、ヨーイドンで行くとこまで撮りました。
イッセー尾形さん:稲荷さんだからちょっと手を抜こうとかはできない?(笑)
大木 萠監督:できないです
イッセー尾形さん:室内劇みたいな感じでしたね。あの日はあのシーンの撮影だけだったよね。
大木 萠監督:ほぼワンテイクだったのですごい早く終わっちゃいましたね。