Close
2018.11.07 [イベントレポート]
「死を意識することによって、友情とか愛情がかけがえのないものだと気づかせてくれる」10/29(月):Q&A『翳りゆく父』

翳りゆく父

©2018 TIFF

 
10/29(月)、コンペティション『翳りゆく父』上映後、ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督、プロデューサーのロドリゴ・サルティ・ウェルトヘインさんをお迎えし、Q&A が行われました。
作品詳細
 
矢田部PD(司会):ガブリエラさん、そしてロドリゴさん、この奇妙で美しい作品をお届けいただきましてありがとうございます。一言ずつご挨拶いただきたいのですが、先日は緑色のドレスがとても美しかったのですが今日はブラックということで、シックな監督お願いいたします。
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:皆さんご来場ありがとうございます。東京に来られて、そして東京国際映画祭に来られて、非常に光栄に思っています。矢田部さんありがとうございます。そして、観客の皆さん来ていただいてどうもありがとうございます。皆さんとお話するのをとても楽しみにしております。
 
矢田部PD:ロドリゴさん、お願いいたします。
 
ロドリゴ・サルティ・ウェルトヘインさん:東京国際映画祭の皆様、お招きいただきありがとうございます。そして観客の皆様、ご来場ありがとうございます。皆様からの質問をとても楽しみにしているので、たくさん聞いてください。
 
矢田部PD:『翳りゆく父』という日本語タイトル、英語タイトルは『The Father’s Shadow』なわけですけれど、みると『The Mather’s shadow』の物語なのかなと思わせつつ『The Father’s Shadow』という作品タイトルをおつけになったのは、娘と母親ではなく父親がポイントだということをおっしゃりたかったのですか?
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:ダウヴァが抱えているものというのは、彼女の悲しみであるのですが、それは実はお父さんの翳(かげ)なんですね。翳(かげ)というのは、物理的な翳(かげ)という意味もありますが、お父さんの中にある悲しみがあると思います。母親が亡くなって難しく大変な時期に、父親の悲しみというものがあって、そのために娘のダルヴァがお父さんとなかなかつながりを持ちにくいと感じている。父親の翳(かげ)が彼女を動かしているという意味で、『The Father’s Shadow』というタイトルをつけました。
 
矢田部PD:監督は脚本も書かれていますが、この話を思いつかれた順番は、お父さんと娘の物語を作ろうというところから始まったのか、その着想の経緯を教えていただけますか?
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:一番最初に、お母さんが植物になってどんどん育っていくというイメージがありました。ずっと頭の中にあって、もしかしたら私が作ってしまっているのかもしれませんが、デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』という映画の中でおばあさんが植物になったというシーンあったような気がしています。覚えていらっしゃる方いますか?
私がそれから受けたのか、自分で思い付いたのかわかりませんが、お母さんが植物になる、木になるというイメージがずっと頭の中にあったので、それから脚本を書き始めました。それならなぜお母さんはそこにいるのか、どんな娘がいるのか、お父さんは何なのかということをその次に足していったわけです。
 
矢田部PD:監督は大体イメージから脚本を作るのですか?
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:大抵そうですね。
 
Q:割とハリウッドのホラーのエッセンスを取り入れていられて、でもその傍らで主人公のお姉さんやその周辺の特に女性たちが呪術的な慣習を見せる場面がありますよね。その辺のハリウッド的な部分と元々南米にあるマジックリアリズムのような呪術的な世界感がミックスされているのがとても興味深かったのですが、今でも女性たちがはさみを持って儀式のようなことをしていて、そういった方々は今でも多いのでしょうか。
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:私はやりませんが、私の周りの人々はああいうことを自然にやっているようです。生活を止めるものではなく、ああいうマジックのようなものが生活の一部になっているのがブラジルだという風に思っています。アメリカのホラーについてですが、日本ではわかりませんが、ブラジルでは私が小さいときテレビでよく放映されていました。アメリカのハリウッドのホラーとか、アクション映画がよくかかっていたので私はそれを見て育ってきたわけです。また、大学でスティーブン・キングの文学を勉強したので、ホラーの世界が非常に私に近しいところにありました。でも私はハリウッドの映画をまねすることはしませんでした。それは、私の現実とそれが違うからです。たださっき言いましたように、私がそれで育ってきた部分もありますので、ハリウッドの映画が私のリアリティの一部でもあるというような、非常にミックスした状態で、この映画ができました。
 
矢田部PD:監督はこの前もホラー映画ファンであることを表明されていましたが、監督がホラー映画に惹かれる理由というものをお話しいただけますか。
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:奇妙なことにキャラクターたちは非常に死を意識していて、死を意識することによって生きるということが投影されるわけなのですけれど、何かを怖がること、怪物的なモンスターに直面することは自分の中の恐怖の投影になると思うんです。その恐怖というものをホラー映画ではもっと寓話的に描いていると思います。また、ホラーを使うことによってドラマが拡張する部分があると思うのですね。あまり恐怖が大きいとリアリティが失われていく、それによってドラマが余計に大きくなっていくということがあると思います。ですので、私にとってホラー映画が大切なのは、ひとつは私が小さいころ観て育ったということで、ホラー映画を観ると落ち着くんですね。なんだかすごく心地いい気持ちになります。もう一つはホラー映画を観ることによって、恐怖ということで死を意識させますよね。死を意識することによって、友情とか愛情がかけがえのないものだと気づかせてくれる、ホラー映画は世の中の見方を教えてくれるものだと思っています。
 
Q:お二人にお伺いします。好きな映画を、ホラーとかオカルトに関係なく、2本ずつあげていただけますでしょうか?
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:とっても難しいですね。ヒッチコック監督の『鳥』、そしてジーン・ワイルダーさんの『夢のチョコレート工場』、とても奇妙なので好きですね。ウンパルンパとか(笑)。
 
ロドリゴ・サルティ・ウェルトヘインさん:いろいろ考えていたのですが、まず頭に浮かんだのは『タクシー・ドライバー』、トリフォー監督の『突然炎のごとく』ですかね。
 
矢田部PD:私も長くQAの司会をやっていますが、これほどストレートな質問をいただいたのは初めてです(笑)。
 
 
 
※※※以下、ラストシーンを含めた内容についての言及があります。お読みの際はご注意ください。※※※
 
 
 
Q:父親が妻を失い、その妻に会うことによって救われるというエンディングに持っていかれようとしたのかなと感じ、肉体的な復活が必要なかったように思うのですが。それは、文化的にゴーストよりもゾンビの方が身近にあってそういう形になったのか、それとも別の理由があるのか、そのあたりをお聞かせください。
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:一般的にブラジルではカトリック教徒が大多数で、通常は火葬せずに土葬します。この作品では娘のダウヴァがある種のおまじないをして、死んだお母さんが戻ってくるわけですが、おまじないによってお母さんの肉体的なものが戻ってくるというのは、ダウヴァにとってではなく、お父さんにとって必要だったと思います。私はゴースト、幽霊、亡霊はあると思っていますが、ある種の肉体が戻ってくるということがお父さんにとって必要だったということです。
 
矢田部PD:ゴースト、ゾンビの話をする時、監督のお顔がとっても嬉しそうで(笑)。
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:大好きなんです。
 
Q:メキシコでは「死者の日」があると日本でも紹介されていて、魂だけではなく肉体を含めて、死人は悪いものではないみたいですが。肉体を含めてという、そういう理解でよろしいのでしょうか。また、監督は子供の頃にホラー映画をご覧になって怖くなかったですか?例えば、『ナイト・オブ・リビングデッド』とか。
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:メキシコとブラジルでは死に対する考え方が全く違います。ブラジルの人は死について語るのが嫌いで、タブーと言ってもいいと思います。「死者の日」もありませんし、お祭りもありません。ただ、ある地域では、魂は永遠に生きるとか、輪廻転生があるという考え方がある地域もあります。私は7歳頃からテレビでホラー映画を観ていました。夜だったので両親は寝ていました。両親が起きていたらたぶん観せてくれなかったと思います。なぜか私ひとりで観て、怖くて死にそうなのに観ていました。怖いのですが、その恐怖に自分なりに対処していました。ホラー小説を読むのも大好きだったので、どうやってそういうことを親に隠れてやっていたのかと、KGBぐらいの隠密行動だったと思います。そういうことを観たり読んだりするうちに、自分の恐怖をコントロールすることを覚えたように思います。そこに恐怖があってそれを楽しむこと、味わうこともあるのですが、その恐怖が自分に直接降りかかってこないということがわかっていたような気がします。
 
Q:死者と対話するときに、似たようなツールがその国にあると思うのですが、この作品でもブラジル版コックリさんとでも言いましょうか、その方法がブラジルでも日本と同じように、子供でもそういう方法が流行っているのでしょうか?
 
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督:そうですね。子供がよくやる遊びです。私が最初にやったときは、いとこたちとやったのですが、私が一番小さかったので、死にそうに怖かったです。いとこたちがわざとグラスを動かしたので、本当かと思ってとても怖かったですね。一番小さいと色々なことをやられますよね(笑)

オフィシャルパートナー