10/29(月)、日本映画スプラッシュ『あの日々の話』上映後、玉田真也監督をお迎えし、Q&A が行われました。
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矢田部PD:監督、よろしくお願いします。客席でご覧になっておられましたが、ご自分の演劇を袖で観ているのと、自分の作品を座席で観ているのとでは、どのような違いがありましたか?
玉田真也監督:演劇を観るときはもっと緊張しますね。なぜかというと、演劇の場合はとちるかもしれないので。決まった稽古をしていても、クオリティがその日その日で違うし、「今日は大丈夫かな」という気持ちが半分くらいあるんですが、映画はもう出来上がっているので、その日のお客さん次第の反応なので、そこがちょっと違いますね。
矢田部PD:演劇の台本と映画の脚本と、ここは映画にはならないかなということで変えたり、映画用に翻案したりというのは、かなりあったのでしょうか、それともわりと同じような感じでしょうか?
玉田真也監督:あまりなかったですね。そのまま原作通りで、ちょっと尺が心配だったですね。100分以内にしたかったので、結局100分になったのですが。原作の舞台も100分なんですよ。でも冒頭の外のシーンとか廊下のシーンとかも入れているし、編集のときのテンポによっては尺が長くなる可能性があると聞いていたので、「切ろう」という感じで、ここはなくても大丈夫かなってつまんでいくって感じで修正の仕方でした。麻央という役が女たちがいるシーンにやって来て、洋子の隣に座って携帯をいじって、彼氏の細川とのツーショットをメールで送るっていう、あれは演劇版ではできないことで、そういうのはありましたね。
矢田部PD:この場合はカラオケボックスということですが、カラオケボックス自体はセットを組まれたのですか?
玉田真也監督:そうですね。青年団という劇団に所属しているんですが、そこが持っている持ち小屋でアトリエ春風舎というのがあるんです。この初演もそこでやったんですけど、そこを借りて、映画のセットを立て込んでやりました。
矢田部PD:新人監督作品1本目としてセットで立て込んで作るというのはなかなか恵まれたというか、できないことではありますよね。
玉田真也監督:そうらしいですね。なんでも初めてで、映画の常識が分からないので、セット立てるってことがないことなのかということも分からないので、その点は良かったです。
Q:最初からこういうサークルという設定があったのかどうかというのをお聞きしたいです。
玉田真也監督:特に決めていませんでした。原作の舞台のト書きにも「あるサークル」くらいにしか書いていません。その話は映画を作るときにスタッフの間でも出たんですよ。「これ、サークル何?」って絶対言われるよって。何か決めておくという話もしたんですが、逆に決めると、例えば、テニスと決めるとテニスサークルというイメージで見られるし。そういうイメージがあるよりかは、何のサークルかは分からないけど、サークルっていうもの、というぐらいでやった方がこの映画は合っているんじゃないかということになりまして、結局、あえて言わないってことにしました。
矢田部PD:確かにそっちの方が大学を経験した人は誰でも感情移入しやすいですよね。僕も大学でサークル入っていたんですけど、特定されないからこそ自分の話だと思えましたね。大学は数十年前なんですけど、あまりにも大学時代と一緒なので、なんでこんなに一緒なんだろうって思うんですけど、最初に脚本作られたときに不変的なものをすくっていこうみたいなですね、こんなに時代を超えてしまうけれどもいつの時代もあるエッセンスを抽出していこうみたいなそういう書き方をされていたんでしょうか。
玉田真也監督:たぶん会話劇で、会話劇っていうのはコミュニケーションが命なんですね、役者のセリフの応酬じゃないですか。セリフだけじゃなくて言葉になっていないような、目線とか目線以上の言語間のコミュニケーションみたいのがあって、それも影響されあいながら進んでいくっていう会話劇ですよね。
それができていないと会話劇は成立しないんですけど、そこのコミュニケーションをどれだけ細かく書けてキャメラで撮れるかっていうことをやっていたんですけど、そこのコミュニケーションの部分っていうのはおそらく今の人であろうが何十年前とかであろうがそこは一緒で、結局先輩後輩や上司の間でマウンティングを取り合うとかああいうコミュニケーションですよね。あれはたぶん一緒なんですよね。だから不変的だと思ってもらえるとしたらそういうところが影響しているのかなって思います。あと、単純に固有名詞をあんまり入れないとかでしょうかね。
矢田部PD:流行りものとかですかね…
玉田真也監督:そうですね、歌は入ってるんですけど。基本別の作品の時でもそういうスタンスですね。
矢田部PD:僕完全に長渕ですね(笑)。
Q:二つありまして、まず一点目が会話を微妙にずらすっていう技術を感じたんですけど、そこら辺の演出の巧みさっていうのをどのように意識しながらやっていたのかということと、キャストを選んだ理由をお聞きしたいです。
玉田真也監督:会話をずらす演出、ずらすっていうのはどういう意味でしょうか。
Q:ニュアンスを誤解して受け取るような感じがしました。私はキャスト同士がずらしながら演出しているのかなって。いわゆる話のセリフを出すんだけど、全く100で受け取らないで8割か7割くらいで、3割くらい勘違いしながら会話を渡していくような感じを受けたんですけど。
矢田部PD:勘違いの連鎖みたいなところですかね。
玉田真也監督:普通の会話ってそういう感じかもしれないですね。文章の度合いがメールやチャットだったり、本とか活字になっていったり、そのレベルが上がるにつれて誤解はおそらく少なくなっていくんですけど、会話っていうのはそのレベルで言うと結構低いんですよ。それでも伝わった気になってコミュニケーションしてるというのが会話なんで、そこはさっきも言っていたように細かくコミュニケーション演出すると自然とそうなっていくのかもしれないですね。
なぜ役者を選んだのかは、初演の時に半分くらいの役者さんは何度もやっている役者さんだったんですね。いつも舞台の新作を書くときに半分くらいは常連の人を入れて、半分くらいは初めての人を誘うっていう感じでやるんですけど、初めての人たちはその時いろんな舞台を観ていたり、とかその人の芝居を観て面白かった人を誘うっていう感じですね。僕はいつもキャスティングしてから芝居の内容を考えるので、内容に合わせて採用していったとかではないですね。まずやりたい役者さんを見つけてそれに当てて書いていくっていう、そんな感じです。
矢田部PD:ですので、映画化するにあたっても同じキャストの方を使われるということのは当然の成り行きだったということですか。
玉田真也監督:そうですね、あんまり変更するっていう選択肢はなかったですね。
矢田部PD:山内健司監督が2年前ですかね、『At the terrace テラスにて』という映画で舞台版と同じキャストを使われて映画化されましたけど、ああいうような作品からも何か刺激を受けていらっしゃいますでしょうか。
玉田真也監督:僕、その作品を観られていないんですよね。存在は知っていて、舞台版は観てはいるんですけど。舞台版の映画を撮るってなるにあたって、もちろん意識すべき作品なんですけど、僕以外のスタッフはみんな観ていまして、僕だけ観ようと思っていて、忘れていて観られなかったですね。
矢田部PD:てっきり参考になさるか、影響されないようにあえて観ないかどちらかと思ったんですが。
玉田真也監督:忘れていましたね(笑)。
Q:トリプルファイヤーの吉田さんってクレジットで出ていたんですけど、気付かなかったです。どこに出ていたんですか。
玉田真也監督:最初にカラオケ店に入る前に歩いている若者がいるんですけど、最初に顔が見える若者、あれがトリプルファイヤーです。
Q:監督も出られていましたよね。
玉田真也監督:僕はカラオケ店に入ってから、女の子達が2階にあがってきて、廊下でグラスもってすれ違う店員がいるんですよ。それが僕です。
矢田部PD:舞台版だと高田さんがやられた役を玉田さんがやられていますね。
玉田真也監督:そうです。
Q:物語の中の肝というか、キャスト間の微妙な会話劇の中での微妙な空気というか気まずい空気というのが、キャストに演技を委ねたのか、監督がこうしてほしいと口出ししたのか。あの空気感をどのように作っていらしたのですか?
玉田真也監督:それは両方ありますね。まず、セリフの段階で結構細かく書いてあるので、その人がセリフの段階で空気をある程度つかんでくれるかというのがまずあるんですけど、それプラス稽古をしながらもっとこうして、ここはこういう空気で、と演出していって、役をつかんでくると役者さんが稽古の後半になるとできるようになっていたり、台本にないセリフを自分で足してその役っぽいセリフを言ってくれて、面白かったらそれを採用して…っていう感じでちょっとずつ固めていく感じですね。
矢田部PD:今、コミュニケーションとか、役者さんの動かし方、演出の仕方、という演劇の延長線のお話が続きましたけれど、演劇と一番違うのはカメラの存在だと思います。カメラの動きとかカット割、そういった方面についてはどのように計画されて、どのようにされて取り組まれたのでしょうか。
玉田真也監督:カメラのカット割に関しては、カメラマンの中瀬 慧さんという方に全部丸投げしてやっていただきました。僕はカメラを割るということができないので、演技の演出だけに集中して、カメラはお願いしました。中瀬さんもそれはむしろやりたい、臨むところ、という感じでした。でもリハーサルというか稽古を一週間くらいやって、通常映画でそんなにリハーサルを長くすることないと思うんですけど、全日、中瀬さんも立ち会ってくれてその時も見ながら動きつけていくにつれて周りをグルグル回りながら考えてくださって、それでもうおまかせしましたね。
矢田部PD:ということは監督も中瀬さんに対して「そっちからは撮らないでくれ」ということはおっしゃらずにご自分の演出の流れをつけられて、中瀬さんも「こっから撮りたいからこの動きはしないでくれ」というのはおっしゃらずにそれぞれがそれぞれの役割に徹したという感じですか?
玉田真也監督:基本的にそうですね。例えば動きとかに関してはカメラマンの中瀬さんが「ちょっとそこに立っているとちょっと都合が悪いからちょっと嘘ついてこっちに立ってください」みたいな、「演技上ほんとはこの辺なんだけど画面上はこうしてほしい」という指示は何度かありましたけど、基本的には演技に合わせて撮ってくれていますね。ずっと動いていたと思うんですけど、カメラが。微妙にずっとユラユラ動いているというか、あれはもう役者がずっと動いている、会話している、まぁ止まっているのもありますけど基本的に誰かが動いていたりするので、カメラがそれを追うような感じで撮ってくれたので。基本的に演技合わせでカメラをやっていただいた感じがしますね。
矢田部PD:ありがとうございます。ちょっと客席にいる役者の方に質問してもいいですか。例えば、引きで撮られているのかアップで撮られているのか分かると、いつもしている芝居と自分がどこでどう撮られているのかが分かるのか分からないのか、カメラの前の演技とではどう違ったのかを山科さん、お伺いしてもよろしいでしょうか。
山科圭太さん:カメラがあるとないとの違いでしょうか?
矢田部PD:そうですね。映画で撮られて、しかも演劇だと顔を見られることもないと思いますけどその違いはどのように思われたのでしょうか。
山科圭太さん:そうですね、初演と再演二回あって、さらに稽古してとなると演技が固まるんですよね。でも、それでカットが入る、俳優としてはずっと通してやりたいところではあるんですけれども、どこで切られても、再現できるという状態ではあったので、だから基本的には同じことをやる、ということでしたね。寄りでやろうが引きでやろうが、基本的には同じことをやる。そういう点では僕はそんなに違いがなかったように思います。それはもうスタッフさんが本当によくやっていただいたので、助かりました。
玉田真也監督:再現の話をしていましたけど、再現率が高いんですよ。何度も舞台やったり稽古やったりして繰り返してきているので、演技を何度やっても同じにできるんですよ。演技が細かく見えると思うんですけど、あの細かい演技も全部同じにできていました。撮影日数がロケ含めて8日間で、メインのカラオケボックスが7日間で、台本のページ数が180ページ近くあったんですね。企画の初期段階に台本を起こした時点で、これは無理だと言われました。スタッフさんたちは映画のスタッフさんたちなので、180ページを8日間で撮るなんてそんな映画はない、無理だと。スケジュールどうしようという話をしていたんですけれどね。再現率が高すぎて、何度やってもミスらずにできるのでむしろ巻きで終わりましたね(笑)。
矢田部PD:芝居のNGがないということですか。
玉田真也監督:そうです。そのままいけました。
矢田部PD:すごいですね。そんな映画の話はなかなか聞いたことがありません。今回映画化するにあたって、舞台と最も違う点、映画を作ったことで発見したことがあれば教えてください。
玉田真也監督:編集の段階で気付いたことですが、もっと表情の寄り、アップを撮っておくべきだったと思いました。2~3か所アップはありますが、ほとんどはグループショットがメインでカメラに収めていました。それは一個一個抜いていると時間もかかるので、撮影日数などもあるのですが、例えば起回というのが始まって、女と男が合流して騒ぎ出す、その前に男達の思惑をみせているところで、騒いでいる男たちの表情を本当はお客さんは見たいと思うんですよ。でもそこを撮っていなかったから、編集のときに「欲しかったな」と思いました。それは現場のときも気づかなかったので。何度もやっている監督だったら現場で気づいたと思うのですが、それは初めてだったので全然気づかなかったですね。表情や目線というのが、演劇に比べて重要だなと思いました。演劇の場合は遠くから引きで全部を観ているので、そんなにそこがすごく重要だと意識しないんですよね。映画はそれがありますね。
矢田部PD:先ほどの中瀬カメラマンとの分業のところでもう少し事前に詰められた部分だったかもしれないといところですかね。
玉田真也監督:今思うと、当時は気づかなかった。ベストをつくしたんですけど、でも今、編集とか完成したものを観てそう思いますね。
矢田部PD:映画の編集も独特な作業で、映画って編集で作られるという部分もあると思うのですが、もうひとつ映画を切り貼りして、編集で作り上げる点において、今おっしゃった以外で面白かった点や刺激を受けた点などはありますか。
玉田真也監督:編集はトミナガさんという方に編集してもらっているのですが、僕は後半から立ち合って意見を言うぐらいの編集への参加の仕方だったんですけど、なんでしょうね…
矢田部PD:映画は編集によって、いかようにも変われるし、よくもなるし悪くもなると思うのですが、ただ編集にそれほど左右されないくらいの骨格がこの映画にあったので、それほど映画の編集についてあまり考えることはありませんでしたか。
玉田真也監督:今のバージョンになる前にもっと荒く編集したものがあって、それを直していったのですが、一回荒く編集した版で通して観たりもしていたりして、それでツギハギの部分が荒いから、全体が乱暴な感じというかテンポが、それが悪いかどうかはわからないのですが、それが面白いとその時は感じていました。でもそれをその後もっと詰めていって、より自然に編集を繋いでいくという修正をして今の状態になった。今の方が質は高いのでしょうけど、そればかりではないなというか、書きなぐったような面白さというのもあるので、一筆書きのような面白さなども出るので、編集のときにそういう違いがでるのだなと思いました。演劇は編集がないので。演劇はお客さんがそれぞれ見て、カット割りも決めて、編集もしているようなものですからね。編集やカット割りをするということは見方をこちらで限定することになりますよね。演劇とはそこが一番違うので、しかも演劇はどこを観てもいいようになっているんですよ、あっちを見てもいいしこっちを見てもいいし、メインでこっちの話が起きている時でも、メインではないこっちのリアクションが面白かったりとか、お客さんはそれを見ていたりするのですが、どっちかを選ばなければいけないという。3人で女の子がいて、喧嘩して女の子が挟まれているときに、リアクションは挟まれている側の顔を入れておかないとな、とか。そこを意識していました。
矢田部PD:映画監督業にはまりそうですか。映画監督と劇作家、両方をされるのか、今度の展望と今回のはまり具合を教えてください。
玉田真也監督:映画監督をもっとたくさんしたい。今回やっていて楽しかったですね。撮った後にどこが大変でしたかとよく聞かれますが、あまり大変だったという意識がないです。楽しかったことの方が多かったと思います。全部が新鮮だったので、わからないことも新鮮で、それが楽しいという気がしています。メンバーもよかったのだと思っていて、ずっとこんな感じでやっていきたいですね。演劇は武器になるので、演劇は演劇で続けていきたいし、会話劇を僕の劇団でもやっていて、会話劇やセリフ劇みたいなものが僕の書き手としての武器だと思います。演出家としても。映画でそういうのが名手という人が誰かわからないですけど、セリフということに関して言うと、いろいろなジャンルがある、小説とか漫画とか映画とかありますが、セリフの技術は劇作家に敵う職業はないと思っているので、そこは武器にしていきたいなと思います。
矢田部PD:ぜひそれを軸に演劇と映画を繋ぐ存在になっていただけたらと思いますし、映画監督としても今後も楽しみにしていきたいと思います。この作品の今後の展開の告知がありましたら教えてください。
玉田真也監督:公開館が決まっているわけではないが、2019年の3月か4月の春、大学入学シーズンに公開されそうなので、大学生に観てもらいたいです。
矢田部PD:とても楽しみです。今日は素晴らしいお話をありがとうございました。