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2018.11.09 [インタビュー]
ブラジャーをフックにセリフを排して描いた寓話劇『ブラ物語』はモダンなシンデレラ物語
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©2018 TIFF
映画.com

上映前からそのタイトルでも興味をかき立てた『ブラ物語』は、第31回東京国際映画祭のコンペティション部門選出作品だ。定年退職間近の列車運転手が、風で飛んできた一枚のブラジャーの持ち主を探し歩く姿を、セリフを排して描いている。ファイト・ヘルマー監督と主人公の後任運転手を演じたドニ・ラヴァンに話を聞いた。

--まるで“ガラスの靴”を“ブラジャー”に代えた、シンデレラ物語のようですね。

ファイト・ヘルマー監督(以下、ヘルマー監督):その通り! シンデレラ物語のモダンバージョンです(笑)。そのモダンを意識しつつ、英語で言うところのinnocent(無垢、無邪気)な題材を描きたかったのです。
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--物語の鍵としてブラジャーを選んだのは何故ですか?

ヘルマー監督:ブラジャーというのは非常に個人的なものだし、内密なものです。そして、主人公はそういう密やかなものをきっかけに、それぞれの個人的な空間に入って行くのですが、その方法が決してアグレッシブでもなく、ましてやエロティックな邪念を抱いているわけでもない。つまり、無垢なままでパーソナルな領域に入っていけるきっかけとして、ブラジャーは最適なツールだと思えたのです。キャスティングをする時も、彼がブラジャーを持ってきたら、女性たちは最初こそいぶかしがるけれど、その純真無垢なまなざしを見てしまうと、「しょうがないわねえ」とドアを開けて部屋に入れてしまう。そんな俳優を探しました。

--大ベテラン俳優ミキ・マノイロビッチに決めた理由は?

ヘルマー監督:製作資金を集める段階で、もっと若い俳優の方がいいという意見もあったのですが、私はどうしても年老いた深みのある俳優を主人公に据えたかった。どうしてかといえば、その都度、美しい女性を訪れて内密な領域に入った時に、「性的な関係を持つのでは?」という邪念を観客が抱くことを避けたかったからです。彼の純真無垢なまなざしを見ると、女性は誰でも信頼してしまう。決して変な人ではないと感じてしまう。どうしてそうなるのか? その点については感覚的な問題で、私自身も巧く説明が出来ないのです。だからこそ、会話のない無声映画にしたと言えるかもしれません。

ドニ・ラヴァン(以下、ラヴァン):でも、ミキの演じた運転手は列車を運転しながら女性がブラジャーをつけている所を、チラ見している。ちょっとした欲望はあったのでは? 一応、意識はしていたよね(笑)。
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ヘルマー監督:気になってはいるけれど、性的な関係を持ちたいと思うような年齢ではないよ(笑)。家の中にひとりの女性がいて、そこにはその人なりの暮らしがある。そのひとつひとつがパッケージになっていて、その積み重ねが物語を構成している。運転手がドアを叩いて入ると、そこには独自の世界がある。また次のドアを開けると、違う人の生活と物語がある。ひとつひとつがサプライズボックスみたいなもの。ドイツには、クリスマス時期になると日にちごとに小さな窓がついているカレンダー(アドベントカレンダー)が売り出されて、子どもたちは1日、2日、3日と窓を開けていきます。本作はそれと同じようなもので、ドアを開けたら毎回違う世界が見られる。ただし、この作品では開けるごとにどんどんひどい状況になっていくのに、それでも運転手は諦めずに開け続けるというおもしろい展開なのです。

--ラヴァンさんは、監督とは『ツバル』(99)以来2度目のコラボですが、監督の魅力はどんなところだと思いますか?

ラヴァン:今回は先に決まっていた俳優さんの降板で、急きょ、私に声がかかりました。撮影の2週間ほど前でしたが、即OKしました。何故かと言えば、まずはセリフがない映画だということ。バスター・キートンやチャーリー・チャップリンの無声映画が好きですし、俳優としても興味のあるジャンルですから。2つ目の理由は『ツバル』で共演したチュルパン(・ハマート)も出演していること。そして最後は、ジョージア(グルジア)に初めて行けるのも興味深かった。久しぶりにご一緒した監督は、以前にも増してクレイジーだった!(笑)。彼の持つ世界観は独特です。無垢な男が拾ったブラジャーの落とし主を捜す。普通に考えたらロジックのないシンプルな物語の中に、監督独自のロジックを込めていく。現実とかかけ離れた詩的で無垢な世界と、世の中の現実的なルールや利益がかち合う物語になっている。その世界観が、俳優としてもとても魅力的なのです。
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--南コーカサスに位置するアゼルバイジャン共和国と、ジョージア(グルジア)の壮大にしてノスタルジックをかき立てる風景が、本作の寓話性を色濃くしています。撮影は、困難の連続だったそうですが?

ヘルマー監督:3作目の長編“Absurdistan”(08)をアゼルバイジャンの小さな村で撮影した時から、この国がとても好きになりました。ヨーロッパから遠すぎないけれど、アクセスは容易ではない。ビザも必要だし、観光インフラも整っていないのです。それに比べると、ジョージアはヨーロッパの観光客が殺到して有名になってしまった。そう、アゼルバイジャンはいまだ知られざる国というところが気に入っていたのです。そんな折、ネットでアゼルバイジャンに中国とはまったく関係のない〈上海地区〉というのがあって、数年後には開発によって壊されてしまうということを知りました。そこで、ぜひその地区で撮影がしたかったので、脚本を書き始め資金集めをして。結局、3年かかりました。やっと準備が整った時には、壊される寸前で、撮影終了の頃には一部の取り壊しが始まっていました。困難という点では、アゼルバイジャン政府が、ああいう古い街並があることや、列車が家のすれすれを走っているような危険な状況で人々が暮らしていることを、知られたくないということ。開発が進んだいまは違うということをアピールしたいのでしょう。ですから、警察がやってきて撮影を中断することもしばしばありましたし、やむなくジョージアに移って撮影をすることもありました。

--その後〈上海地区〉はどのように?

ヘルマー監督:あれから1年以上が過ぎたいまは、あの場所は存在していません。私の師匠のビム・ベンダース監督は、「物事はどんどん消えてしまうから、早く撮影しなきゃいけない」と言っていますがまさにその通り。もう、あの美しく刺激的な場所は存在しないのですから。本作をご覧になったみなさんに、あの場所を美しいと思っていただけるのならそれだけで嬉しいです。そして、この映画を作った甲斐があります。
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