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2018.11.09 [イベントレポート]
「他人は他人だっていうことをちゃんとやりたいなって思っていました」10/31 (水):Q&A『鈴木家の嘘』

鈴木家の嘘

©2018 TIFF

 
10/31(水)、日本映画スプラッシュ『鈴木家の嘘』上映後、野尻克己監督、女優の木竜麻生さんをお迎えし、Q&A が行われました。
作品詳細
 
野尻克己監督:皆さん本日はお忙しい中『鈴木家の嘘』をみてくださり、ありがとうございます。とても嬉しく思っております。
 
木竜麻生さん:皆さんはじめまして。木竜麻衣です。今日はお越しいただいてありがとうございます。よろしくお願いします。
 
矢田部PD(司会):ありがとうございます。よろしくお願いいたします。みなさまのご質問をお受けする前に、監督にベーシックなところをお伺いしたいと思います。長らく映画業界で監督を務めてらっしゃいますが、長編は一本目となるわけですね。一本目の作品にたどり着くまで、どのような段階で脚本を書き始めて今回の完成に至ったか、完成の背景を教えていただけますでしょうか。
 
野尻克己監督:脚本は4年間こつこつ書いていました。一回書いては書き直してを繰り返していまして、結果4年くらいかかってしまったんですけれども、この脚本を書きました。その当時に、松竹ブロードキャストを作っていた橋口亮輔の『恋人たち』、それもオリジナル映画という、監督が自分でオリジナルで脚本を書いて作るというプロジェクトでした。その時僕が橋口亮輔監督の『恋人たち』の助監督をやってまして、その時に橋口さんとお仕事をして、オリジナルの作品って素晴らしいなと思いつつ理解あるプロデューサーもそこにいたので書いていた脚本を託し、実現に至ったということです。
 
矢田部PD:ありがとうございます。もし差し支えなければという質問なんですけれども、監督のパーソナルな物語もこの中に含まれているというふうに伺っております。どのくらいが監督の実体験に基づく話なのかっていうのを、おっしゃっていただける範囲で教えていただけますでしょうか。
 
野尻克己監督:うちは五人家族で、男三兄弟なんですけれども、真ん中の兄がこの映画ご覧の通り自死をしまして、そのことが僕の中でずっと埋め込まれた秘密みたいになっていました。そこから始まる家族みたいな話を作ろうかなと思って。そこの発端と、兄のことがベースにあって物語を広げていってという感じですかね。どちらかというと、オリジナルといえども自分のことに終始した独りよがりな映画にはしたくなくて、幅広く観てもらえる映画にしたいなと思っていたので、そこでこねくり回して嘘を思いつき広げてく映画にしたと思っております。
 
矢田部PD:ありがとうございます。木竜さんはどのような形でこの企画に巡り合ったのか、オーディションだったのかとか、この映画に参加するようになった経緯を教えていただけますか。
 
木竜麻生さん:私はオーディションを受けて、ワークショップオーディションだったので4日間のワークショップを受けさせていただきました。その前に面接みたいなものがあって、そこからワークショップを受けることが決まって、4日間監督とワークショップをさせていただいて映画に出られること決まりました。
 
矢田部PD:本当に素晴らしかったと思うんですけれども、4日間のワークショップ、監督からご覧になっていて木竜さんはどのような存在に映ったのでしょうか。
 
野尻克己監督:初めて会ったときはあまり最近いない女優のタイプだなと。例えるなら、角川映画の『Wの悲劇』という作品の、薬師丸ひろ子さんの感じに似ているなと。純朴な感じとスター性のある感じを両方合わせ持っているという雰囲気を持っていました。
 
矢田部PD:なるほど、ちょっと雰囲気は似ているような気がしますね。
 
木竜麻生さん:ありがとうございます。すみません…(笑)
 
Q:野尻監督はこの作品を撮るにあたって、特にここが一番テイクを重ねたなっていうシーンはどのあたりでしょうか。
 
野尻克己監督;岸部一徳さんと原 日出子さんの夫婦喧嘩のくだりが一番多かったかな、16回くらいかな。微妙なニュアンスを求めすぎてしまって。画面には2分くらいしか映らないですけど、30年くらいの夫婦の歴史を映したいなと思ったら、深夜までかかってしまいました。
例えば軽く言った言葉でも、それが5年くらい恨んでいるっていうこととかも、全部細かく指定したら、怒られちゃいました(笑)。細かすぎるって。
 
Q:木竜さんは、この作品にクランクインするまでに、どのような準備を一番徹底していましたか。
 
木竜麻生さん:作品の中で新体操を富美がやっているんですけど、新体操の練習に4か月くらい通わせていただいたんですね。その間に富美のことを考えるわけではなかったんですけど、練習に行って自分が身体的に身体を動かして頭がからっぽになったり、そのことだけを考えている時間が実は映画の富美だったり、私自身のことを考えたり向き合ったりすることにすごく繋がったなとは今すごく思っています。特別なことはやっていないんですけど、新体操の練習の時は、本当にそこに真剣に向き合ってやったっていうのはあります。
新体操を教えていただいた監督も私のレベルが教えていただけるような監督ではなくて、全日本に選手を輩出しているような方だったので、その方に指導していただけるっていう時間も大事にしていました。その監督に向き合うことも映画に向き合うことに繋がると、その時意識していたわけではないですけど今はそう感じております。
 
矢田部PD:ありがとうございます。木竜さんもお相撲(『菊とギロチン』)から新体操まで大変だったと思うんですけれど、監督は数あるスポーツの中から新体操を選ばれた理由は何かあったら教えていただけますでしょうか。
 
野尻克己監督:最初脚本を書いた時は陸上部の設定にしていたんですけど。個人種目がいいなと思ってそうしていたんです。たまたま木竜さんが新体操を9年間やっていたということだったので、先程質問された方もいらっしゃいますが、映画の中に木竜さん本人を出してほしかったんですよね。得意なものの方がいいだろうっていうことで、ビジュアルも美しいのでそっちでやってもらった方がいいかなと思い、普通の大学生になっておいでっていうことで練習しに行ってくださいと、僕も送り出しました。そこから役作りも始まるんだよっていう言い方をしました。
 
Q:最初のシーンの2カット目とかで、浩一が窓の外をじっと見てたと思うんですけど、僕から見ると晴れやかな表情に見えて、彼は何を見ていたんですか。
 
野尻克己監督:晴れやかに見えましたか?
 
Q:僕は、少し爽やかな感じに見えました。
 
野尻克己監督:分からないとは思うんですけど、窓を開けたのはあそこにコウモリが帰ってきているので死んでしまうないように逃がすためなんですね。それで空を見つめてるってことなんですけど。外に出ていいんだよってことを、彼は考えていると思います。あとはもう僕の解釈なんですけど、彼は自分の中で死ぬっていうことを肯定して死んだと思っています。加瀬 亮さんもそう思うって、ここまで生きるっていうことの延長線上に死ぬっていうことを決めたと思うということだったので、本当に心の底から決心した顔をしているのではないかなと思っております。あとはそこは加瀬さんに委ねたんですけど。僕としては最後の始末としてコウモリを逃がしてあげることと、彼は決めたっていう表情ですね。
 
Q:イブちゃんについて結局分からないままになってしまったのはどうしてでしょう。
 
野尻克己監督:実際浩一自身がイブちゃんと愛し合っていたかどうかっていうのは永遠の謎です。映画の締めくくり方として、イブちゃんは商売の女性であるので浩一と何かあったっていうのは、僕はなかったと考えております。ただ、家族としては、唯一家族が知らない浩一をイブちゃんが知っているっていうことなんですね。それを最後の家族の残り僅かな希望にしたかったんです。それであえて解決を求めませんでした。
 
Q:鈴木家の4名の方は本当に実在感のある方々だと思ってみていたんですけれども、その一方で周りの人たちはキャラクターが強い方々が出てくるなあという印象がありました。そのへんのバランスで何か監督が気を付けたところがあればお聞きしたいです。
 
野尻克己監督:僕自身の経験も入れているところもあって、家族の話に客観性が帯びないなというところが目に見えていました。それはしたくないなと思って。僕が映画を作るうえで気を付けていることは、他人は他人だっていうことをちゃんとやりたいなって思っていて。同じように苦しんでいる人はいないわけですよ。同じ種類の苦しみってなくて、表面上はすごく元気なおばさんであっても、ものすごいトラウマを背負っているかもしれない、見ていないところで電車を見るたびに倒れているかもしれない、ということを表現したかったんですね。そういう人たちっていうのは思ったより世の中に多いっていうことを映画でできればいいなと思ってやってみました。そうすることによって家族の見え方が違ってくるので、悲しんでいるだけではなくて、悲しいんだけど必死になっているところも他人から見ると滑稽に見えるというか、愚直だけど愛すべき人に見えるという空間が欲しかったんです。そのようにして、濃いキャラクターを入れているかもしれないです。
 
Q:引きこもりというのは多くの場合は精神的な病気だと思いますが、少し精神病のテーマを映画で扱おうとは思いませんでしたか。
 
野尻克己監督:大きなことで言うと、それに触れるとそれだけの映画になってしまうっていうこともあります。彼がなぜ死んだかっていうのは、もちろん病気もあるかもしれないけど、家族に何も告げなかったっていうことは、誰もわからないってことなんですよ。そこを映画にしたかったんです。日本の引きこもりに関して、病気であるとかそういったことを突き詰めてないっていう社会はありますよね。精神的な病に関して寛容度が低い国ではあると思います。あと、どうしても本人がそういうことに関して恥ずかしいと思う自覚があると思うんですよ、日本人って。そこが一番大きくて。病気と認めてしまうっていうこと自体、日本人の心に流れてないというか、心も病気になるっていうことも認識してないところがあるんですよね。だから、そういうふうな日本を描いてしまっているところはあると思います。僕も引きこもりに関してすごく考えたんですけど、やっぱりその辺が僕ら家族がうまく行かなった原因でもあるし、病気じゃないってしてしまったってことでもあるので。家の中で病気を隠そうとするところがあるんですよ。恥ずかしいと思っているところが日本人は多いのかもしれないですね。
 
矢田部PD:ありがとうございます。監督が今、それだけの映画になってしまうかもしれなかったとおっしゃっていましたけど、この映画の優れているところはユーモアや笑えるシーンが絶妙なタイミングで入ってくるということだと思います。そのバランスが崩れたら見苦しいものになってしまいかねないところを、絶妙に作られているのがうまいなあと思いました。漠然としていますが、監督はそこをどのように気を付けられたのですか。また、木竜さんに質問です。辛い場面とちょっと笑える場面の両方が交互にやってくると思いますが、現場の雰囲気はどうだったでしょうか。
 
野尻克己監督:現場は、そんなに辛い感じではなく、楽しくやっていました。すごくコメディにするということが突出しちゃうとよくないなとは思っていたので、芯の部分を忘れないようにしました。笑ってくれたところがあると思いますが、その面白いところというのが、ちゃんと人間的な性格であるとか、行動原理に理由があるようには必ずしました。そうしないと人間物語なのに浮ついてしまうので、ギャグを一発やるということはちゃんと回収してあげないと。僕は映画としてはそういう一発ギャグだけあるのは好きではないので、そこがストーリーに溶け込まない限りは、やらないようにしました。
 
木竜麻生さん:映画の中でも、みんなが普通にご飯を食べていたり、それこそ笑ってしまうようなタイミングがありましたが、本当にそのままでした。映画の撮影中に、やはり大変なところもしんどい思いをするところもたくさんありましたが、それでも面白いところはちゃんと笑えるし、おじさんがそうめんを噴き出したのを「汚い!」って拭いたり、そういうことも普通にできて、それでいいと思っていたので、そういった変化についていけないということは全くありませんでした。その時その時そこにはちゃんと反応してよかったので、それが大変っていうことはなかったです。
 
矢田部PD:それではQ&Aは終了となりますが、この作品は公開が間近ということで、この作品の今後あるいは監督の今後について、監督から一言いただけますでしょうか。
 
野尻克己監督:今日はみなさん、観に来てくださってどうもありがとうございます。『鈴木家の嘘』は、2018年11月16日(金)から新宿ピカデリーとシネスイッチほか、全国で公開します。ぜひ皆さん、面白いと思っていただけたら、少しでも広めていただきたいと思っております。

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