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北海道・函館出身の作家・佐藤泰志氏による小説を映画化した『きみの鳥はうたえる』が11月1日、第31回東京国際映画祭のJapan Now部門で上映され、主演の柄本佑、メガホンをとった三宅唱監督が、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズでのQ&Aに臨んだ。
函館郊外の書店で働く“僕”(柄本)と、一緒に暮らす失業中の静雄(染谷将太)、“僕”の同僚である佐知子(石橋静河)。いつしか恋人の関係になった“僕”と佐知子は、静雄とともに夜通し酒を飲み、踊り、笑い合う幸福な日々を送る。しかし、終わりゆく夏とともに、3人の関係にも次第に変化が訪れる。
10月27日に母・角替和枝さんを亡くした柄本だが、観客の前では気丈に振る舞い「『きみの鳥はうたえる』は、僕のなかでも宝物のような作品。この作品で初めて来られたことがとても嬉しいです」と初参加となった東京国際映画祭の場で笑顔を見せた。今年のJapan Now部門のテーマは「アンビギュイティ(曖昧さ、多様性)」。その関連性について三宅監督は「僕自身は作っている途中に、アンビギュイティという言葉は念頭にはなかった。ただ“僕”という男には色んな一面がある。その一面がシンプルだからこそ、矛盾する2つの要素があっても気にしなかった」と話し、「シンプルであること」「矛盾を恐れない」がテーマだと明かした。
柄本が“僕”を演じる上で意識したのは「真っ直ぐいる」ということ。「人を見たり、物を見たりする時、その目は“直線的”でいようと。そうすると、(“僕”を)色んなところから見た時に様々な見方ができる」「“僕”は主張がないというか……演じている時に思っていたのは「空、山、海……僕」みたいな感じです。“空気のような存在になれる”というのはずっとやっていたんですが、ラストはやはり自然でなくなるんですよね」と語っていた。さらに石橋の存在は不可欠だったようで「色んなことを素直に受けいれてくれる壁のないやつなんです。石橋さんが佐知子だったというのは、“僕”になった原因のひとつだった」と振り返っていた。
“肉体で語ること”が重視されている点を指摘された三宅監督は「この映画の企画自体、原作の小説がある。そこでは文学という芸術によって、3人のドラマが完全に描かれているんです。それと同じことをする意味はない。映画は“映画の表現”をすべきで、その際には素晴らしい役者たちの肉体が必要。それをどうとらえるかが勝負どころだと思った」と告白。さらにカット割りに関する疑問に対して「この小説はサッカーに例えると、パス交換、コーナーからボールを拾いに行く時間、スローイングの戸惑いなどをとらえたもの。扱っている時間自体が、ゴールシーンではないんです。「(劇中で描かれているシーン以外に)時間はあるよね?」ということを感じてほしかった」と答えていた。
第31回東京国際映画祭は、11月3日まで開催。