Close
2018.10.30 [イベントレポート]
「相手を殴るのではなく、痛がるぐらいにくすぐることで現実を伝えたい」10/26(金):Q&A『テルアビブ・オン・ファイア』

テルアビブ・オン・ファイア

©2018 TIFF

 
10/26(金)、コンペティション『テルアビブ・オン・ファイア』上映後、サメフ・ソアビ監督、ヤニブ・ビトンさん(俳優)さんをお迎えし、Q&A が行われました。
⇒作品詳細
 
サメフ・ゾアビ監督:皆様、今日はお越しいただきましてありがとうございます。私は日本に来るのが初めてですし、今回6年間を費やして作り上げた物語を皆さんにご覧いただけることに、本当にワクワクしています。そしていろんな国の国際映画祭で上映されることを大変うれしく思います。
 
ヤニブ・ビトン:実は、私はこの映画を観るのが2度目です。初めて観たのがヴェニスの映画祭でしたが、監督がそれまで絶対にこの映画を観せてくれなかったんです。今回東京で皆さんと2度目を一緒に観ることができて、大変誇りに思いました。
客席に座って皆様とこの映画を観ていて、日本のお客様はどのくらいこの映画のパレスチナ人とイスラエル人の葛藤、映画に含まれるいろんなニュアンスを理解くださるのかなと思っていたのですが、皆様がくすくすと笑い始めてくださった。この映画のコメディが日本の方にもわかっていただけたことが、僕としても本当に嬉しく思いました。
 
矢田部PD(司会):サメフ監督は、お客様が少し混乱するかもしれないので、ご自分のバックグラウンドを説明したいとおっしゃりました。
 
サメフ・ゾアビ監督:私はイスラエルのナザレの近くの村で生まれました。パレスチナ人の家庭に生まれたので、基本的にはパレスチナ人です。しかしイスラエル生まれですのでイスラエルのパスポートも持っています。テル・アビブで教育を受け、そしてニューヨークのコロンビア大学で映画を学びました。この映画が私にとって2本目の劇場用映画です。
前作でも監督と脚本を務めました。いつもパレスチナ人とイスラエル人の葛藤、政治をコメディを使って描こうと思っています。なぜかというと、深刻な問題をまじめに描いてしまうと、深刻になりすぎてしまう。かえってコメディを加えて描いたほうが、自分としてはより自由に描けるという感覚を持てるので、こういった形で描いています。
 
矢田部PD:この作品に6年間取り組まれたということなんですが、ソープ・オペラ(メロドラマ)を舞台に使うという秀逸なアイデアを思い付かれた着想の背景を教えてください。
 
サメフ・ゾアビ監督:僕はソープ・オペラが好きです。誰でもソープ・オペラが好きだと思います。僕自身もエジプトで制作された連続ドラマのソープ・オペラを見ながら育ちました。家の中には1台しかテレビがなかったんです。母が必ずリモコンを持っていました(笑)。
ソープ・オペラって不思議なものなんですよ。映画をご覧になる人たちは、映画はリアルを追求するすごくまじめなもので、ソープ・オペラはすごく不自然で、セリフも不自然な言い回しと感じていらっしゃると思います。でも、メロドラマが大好きな人たちにとって、これほど現実的な物語だったりセリフはないんですね(笑)。それが、メロドラマの特徴だと僕は思いました。
今回のような題材を描くには、メロドラマを入れることによって普通では言えないようなことを、セリフとしてコメディを加えながら言えるということが面白い手法なので、やってみたところ、通常なら言えないことが言えました。それで、先ほども言ったように自由に描けたんです。これは一つの逃げかもしれませんが、あのメロドラマを監督しているのは僕ではないですから。どんなことでも俳優たちに言わせられるわけです。
 
矢田部PD:ヤニブさんは脚本を読んだとき、「これはすごい」と思われましたか。
 
ヤニブ・ビトン:はい!僕としては、この脚本を読んで見事に我々を囲んでいる深刻な状況をうまく描いてくれたなと思いました。この映画は二つの面があると思います。まず一つ目は、政治的なものです。出演するにあたって、僕はこの映画の政治的な部分、イデオロギーが、僕自身のイデオロギーに沿っているかどうかを判断しました。自分が信じないことはできませんから。
二つ目が、俳優としてどうしたいか、芸術面ではどうかということです。僕としては、これほど面白いキャラクターはないなと思ったんです。あの検問所の所長というのは、すごく二面性があって、政治とは関係なくとても楽しめる役だと思いました。同時にとても人間的な役だと思ったんです。彼は、何が何でも奥さんを楽しませたい、喜ばせたいと、頑張っているんですから。
 
Q:パレスチナ人だけが集まって、ヘブライ語もわからないような状況で、パレスチナ人向けの昼メロを作っていることがあるのでしょうか。それ自体はファンタジーなのでしょうか。
 
サメフ・ゾアビ監督:実は真逆の事態が横行しているのです。つまり、イスラエル人がアラブ人の役を演じていて、変な訛りのあるアラブ語をしゃべっているのがテレビで放映されています。それをずっと見てきて、すごく違和感を感じていました。ですから、僕の映画では反対のことをやってみようと思ったわけです。イスラエル史上初のパレスチナ人によるソープ・オペラ、という設定にしました。
 
Q:ドラマ(劇中劇)の中のラストの展開を考えるくだりには、監督の思いが込められているのでしょうか?
 
サメフ・ゾアビ監督:新しい世代の人たちにある種の声を届けたい気持ちがありました。この映画の中には、これまでの多くの問題が込められています。軍による占領、自爆テロ、高い壁。さて我々はこれからどこへ行くべきか、という問いをこの映画で提示したつもりです。しかし、私がその答えを持っているかというと、3本目の映画を作らないとそれを見つけることはできないと思います。
 
ヤニブ・ビトン:あのシーンはひとつの解決策にはならず、エンディングでもない。第二のオスロ(合意)だと思いました。
 
サメフ・ゾアビ監督:オスロ合意は失われてしまっています。占領も続いたままですし。現実は、あたかも昼メロのように非現実的な世界のような気がします。
 
Q:このような作風でイスラエル政府や制作会社からストップがかからなかったのでしょうか?
 
サメフ・ゾアビ監督:初めから話しますと、1948年にイスラエルが建国された時、私のパレスチナの家族はイスラエルの土地に住んでいました。パレスチナ人口の25%がそういう状況です。私はイスラエルにずっと住んでいます。今、紛争が起きているのは、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区です。イスラエルの建国以来、私、そして私の家族は、パレスチナ人でありながら、ヘブライ語も話しますし、イスラエルのパスポートも持っています。毎日のように検問所を通って行き来しています。それが、我々をとりまく政治的な現実です。パレスチナがイスラエルにいじめられているという現実もありますが、それはもう隠されたことではありません。毎日のようにFacebookやYouTubeにそうした状況が投稿されています。私としては映画を通して、相手の顔を殴るのではなく、くすぐりながら、こうした現実をわかってもらいたいと思いました。イスラエルの大手新聞にこの作品の批評が掲載されました。そこには「初めて、新しい世代がお互いを認め合って楽しめる、そういう映画が生まれた。なぜかというと、現実からひとつ距離を置いて、現実を描いているからだ」と書かれていました。相手を殴るのではなく、痛がるぐらいにくすぐることで現実を伝えたいと思いました。
 
Q:食事のシーンについて教えてください。
 
サメフ・ゾアビ監督:とても複雑な話なのですが…。フムスはパレスチナの郷土料理です。イスラエル人がパレスチナの土地にやってきて以来、美味しいのでイスラエル人も食べるようになりました。テル・アビブに行っても、フムスを食べに行こうよと言われるのですが、私としては、実はそんなに好きではありません。なぜなら、子供の頃からずっと食べているので食べ飽きていますし、私としてはフムスをレストランで食べるなんて考えられないのです(笑)。でもイスラエル人はフムスを食べたがるのです。本来、イスラエル人はパレスチナの文化を否定しているはずなのですが、イスラエル人はパレスチナの文化に憧れや興味を持っているのかもしれません。その象徴として、フムスを描きました。アッシが「本物のアラブのフムスを食べたい」というこだわりを見せるところを面白おかしく描いたのです。
 
ヤニブ・ビトン:私の場合も似たようなものです。イスラエル人にとって、フムスは一種のクリシェです。イスラエルでは、アッシが「フムスを持ってこい」と言う場面で大笑いが起こりました。特別なフムスだと言われたものが実は缶詰めのフムスで、アッシは味もわからないというのは皮肉です。
 
矢田部PD:最後にひとことお願いします。
 
サメフ・ゾアビ監督:この作品は笑いどころも多いのですが、とてもパーソナルな作品です。フムスひとつをとっても思いがあります。脚本を書くという自己表現の作業では、常に政治の介入があります。それに対する葛藤、自分の中のジレンマを映画に込めました。

オフィシャルパートナー