1989年に『どついたるねん』で監督デビューを果たした阪本監督は、この『半世界』が26作目に当たる。基本的にはデビュー以降、約1年ごとに作品を作り上げているが、その殆どが前作とは違った作風を見せ、“自己模倣”に陥らないように、を信条にしてきた。それができるのは、しかし技量と意思の賜物であろう。
漢方薬を作っていた夫婦が団地に移り住んだことで騒動が起きるSFコメディの『団地』(16)、チェ・ゲバラと共に革命闘争に参加した、実在の人物フレディ・マエムラを描いた『エルネスト』(17)に続く『半世界』は、稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦、池脇千鶴という豪華俳優陣を迎え、人生半ばに差しかかった彼らが、次の人生をどう折り返すかを描いている。
三人の友情、家族の在り方、そこに生じる葛藤などをオリジナル脚本で描いた、まごうことなき“阪本世界”だ。
俳優に見抜かれた状態でクランクインした方が断然、合理的
―― 紘(稲垣吾郎)の妻役である池脇千鶴さんは、日々の生活に追われる主婦として素晴らしい演技でした。
阪本順治監督(以下、阪本):池脇さんが出演している映画は観ていましたが、あの世代の女優さんで生活臭を感じさせる人としては、誰も敵いませんね。
―― 演技に関して注文したりしましたか?
阪本:脚本を読んで納得してもらっていたので、特にこうしてくださいとは言いませんでした。
今までの経験から言うと、特に女優さんは準備段階の衣裳合わせで、役の衣裳を纏い髪型を決め客観的にそのすがたを鏡で確認した瞬間、役柄がすとんと自分の中に入ってくるといいますね。男優にも通じますが、女性の場合はバリエーションがありますから。この人はアクセサリーを付けるタイプなのかとか、例えば、髪型はショートなのか長い髪を結んでいるのか、とか。
それは監督も同じで、俳優のビジュアルが決まったときに架空だった人物がより現実的になっていく。それがオリジナル脚本の面白いところなのです。それまでは、自分の頭の中で作り上げているわけですから、それが具現化していく過程でもありますね。
稲垣(吾郎)くんには、髭をはやしてニット帽被ってもらって作業服着てもらって。でもそれが凄く似合っていて、稲垣くん自身も、こんな自分を初めて見たってびっくりしていましたね(笑)。
―― 俳優の話でいくと、稲垣さん、長谷川(博己)さん、渋川(清彦)さん、三人とも阪本監督の映画では初出演ですよね?
阪本:三人とも一緒に仕事をしたことはなかったのですが、どこかで生では実際に会っていたりします。誰かのパーティの席だったり、芝居関係の場所だったり。あるいは今まで仕事した俳優と同じ事務所の所属俳優だった、などで。
一回でも生で会っているというのは、僕にとってすごく大事なことなのです。稲垣君は、なにも誤魔化さない本音の人だったし、長谷川君は、ぽつぽつと俯き加減に話すその神経質さに興味を持ったし、渋川君はいつもにこにこしながら近づいてくる。お互い素の状態で会って、その俳優の情報というか、その印象や存在が頭の中に蓄積され、僕の中にタレント名鑑ができる。
―― なるほど独自のタレント名鑑ですか(笑)。配役が決まった後、俳優さんと密に話し合ったのでしょうか。
阪本:クランクインするまでの僕のやり方として、一対一で会って食事するわけです。今までも、主演級の男優女優とはそうやってきました。
会って何を話すかというと、台本開いて打ち合わせするわけではなく、お互いのことを語るのですね。僕がどんな環境で生まれ、どんな思春期を送り、どんなことを考えて、どんな恥を掻いたかをまず僕からしゃべるのです。つまり、まずは僕のことを理解してほしいという食事会なのです。
最初は緊張していた俳優さんも、同じように、「昔、子供時代にこんなことあったんですよ」なんて話が出てくると、彼らのことが分かるし、距離も一気に縮まる。
そして、彼らに見抜かれた状態でクランクインした方が断然、合理的なのです。
現場で演出について口ごもって何か言おうとしているとき、僕のことバレていますから、「ああ、こういう事を言いたいんだな」と解釈してくれる(笑)。
―― 今回のオリジナル脚本は、ふたつのシナリオが合体したというようなことを耳にしましたが、炭焼き職人の話は、大分、前からあったものなのですか?
阪本:「同級生」を題材にしたものと、炭焼き職人の物語を両方とも4~5年位前に書いていましたね。「同級生」の方は高齢の人物の話で、それは叶わなかったのですが。他の取材でもしゃべったのですが、『画家と庭師とカンパーニュ』(08)というフランス映画に両方の脚本とも影響を受けているのです。
その作品は、主人公の画家が故郷の村に戻って、いまは庭師を生業とする同級生に再会するという話です。その土着の、土の匂いのする庭師に興味を持ったんですね。僕はこれまでの作品の中で、農業や林業や漁業も触ってきて、他に土着的なもので何が残っているだろうかと思ったときに、土の匂い=炭焼きを思いつきました。
炭焼きは、土を触るというのとはちょっと違いますけれど、山で木を切ったり土で窯作ったりも含めて、まだその仕事の全容を知らない人がほとんどで、おもしろいなと。しかも、陶芸家というアーティストではなく、あくまで熟練職人で。
誰もやってない職業って、やってみたいじゃないですか。前作では漢方薬がどう作られるかみたいな話(『団地』)をやりましたし。
戦争をテーマにした写真展を見に行って、そこで小石清さんという人を知った
―― 長谷川さん扮する瑛介が、「お前たちは世界を知らない。世界で紛争や何が起きているかを」。それに対して紘は、「こっちだって、世界なんだよ」っていう。その辺りがタイトルの「半世界」に繋がる素晴らしいセリフだと思って。
阪本:自衛官として自分が見てきた世界が、本物の世界だって信じ込んでいる瑛介がいるわけですからね。テーマとしては、紘のような土着の人間が地方都市から世界を見たらどうなんだと。
それは、僕が5か国ぐらい海外ロケをやってきて、それが僕自身の視野を拡げてくれたのだけれど、一方で、日本の中の普通の営みから世界を見ることで、また違うものが発見できると思っていましたから。そうやって越境することで分かったこともあるのです。自国の自分の立ち位置に戻ることで、景色が変わると。
今回は『エルネスト』の反動でもありますけれど、日本の小さな地方都市の話がやりたいと。ただ、“世界”というワードには触れたいと思ったので、帰ってくる同級生を、海外派遣を経験した元自衛官という設定にしたのです。多少重たいテーマというか、日本の自衛隊の現状に触れてはいるけれど監督として、そこの社会性だけで観る映画ではなく、「人は生まれて死ぬ」という、単純なところを真ん中に置きたかったわけです。
―― 小石清という戦前の報道カメラマンがいて、彼の写真集の「半世界」というタイトルに惹かれたと、監督が言っていらして…。
阪本:15年ほど前に戦争をテーマにした写真展を見に行って、そこで小石清さんという人を知ったのですね。その写真集を見たときに、プロフィールに、戦前はアマチュアカメラマンで、前衛的な作品を撮っていたと書いてありました。
彼は、戦争のせいでフィルムが配給されなくなってきたとき、どうしても写真を撮りたいと、日中戦争の従軍カメラマンになるのです。その時に撮ってきた写真集が、「半世界」というタイトルです。
実は従軍カメラマンだから、勇ましい日本兵を撮ってこなくてはいけないのを、中国の現地のおじいちゃん、おばあちゃん、子供、そして象や鳥などの動物、そういうものを撮って、タイトルに「半世界」と付けていて。僕はすぐにメモしましたね。いつか自分の映画のタイトルに使おうと思って。
そして、この「半世界」の意味は何なのかと思ったとき、実際の小石さんの解釈は分からないですけれど、“もうひとつの世界”というものがあると。戦争中は覇権的な世界視野ばかりが謳われるけれど、大多数は小さな営みの集合体であって、そっちも世界なのだと小石さんは訴えているんだと。亀井文夫さんのドキュメンタリー『戦ふ兵隊』と同じものを感じたのです。
―― 戦争に行っても、戦争とはまた違う「半世界」があると。
阪本:小石さんが発表したその写真集は、戦争批判と解釈されたりしたらしいですけれど。反戦カメラマンと言う人もいたみたいですし。
同じものづくりの人間として、小石さんと似た発想でやってみたいと思ったのですね。
―― ネタバレ注意報ですけれど、明(紘の息子)の未来に、監督の最初の作品を思い出しました。
阪本:そもそも、あの場面、脚本にはなかったのですよ。クランクアップ何日か前に思いついたものです。で、昔からのスタッフに自己模倣かなと言ったら、「もう30年経ったから、いいんじゃないですか」とか言われてね(笑)。
監督:阪本順治
キャスト:稲垣吾郎、長谷川博己、池脇千鶴、渋川清彦